京都地方裁判所 昭和61年(ワ)157号 判決 1989年4月06日
原告(反訴被告)
壬生寺
右代表者代表役員
松浦俊海
右訴訟代理人弁護士
知原信行
被告(反訴原告)
糸井こと中西聡子
右訴訟代理人弁護士
久米弘子
同
中村和雄
同
吉田容子
同
村松いづみ
主文
一 原告(反訴被告)の請求を棄却する。
二 原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、昭和六一年四月一日以降毎月末日限り一か月金一八万六二七二円の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は本訴反訴を通じて原告(反訴被告)の負担とする。
四 この裁判は第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告(反訴被告)
1 原告(反訴被告。以下、「原告」という。)と被告(反訴原告。以下、「被告」という。)との間に雇用契約が存在しないことを確認する。
2 被告の請求を棄却する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行免脱宣言
二 被告(反訴原告)
主文と同旨
第二当事者の主張
(本訴請求)
一 本訴請求の主位的請求原因
1 雇用契約
原告は境内に壬生寺保育園(以下、「本件保育園」または「園」という。)を開設している。原告は、昭和六〇年四月四日被告との間で、期間を同年四月五日から同六一年三月二四日までとし、被告を本件保育園の保母として雇用する雇用契約(以下、「本件雇用契約」という。)を締結し、被告は同日就労した。
2 期間の満了
本件雇用契約は昭和六一年三月二四日期間満了により終了した。
3 紛争の存在
しかし被告は本件雇用契約の終了を争う。
よって、原告は原告と被告との間に雇用契約が存在しないことの確認を求める。
二 本件請求の主位的請求原因に対する認否
1 本訴請求の主位的請求原因1(雇用契約)の事実中、原告が本件保育園を開設したこと、原告と被告との間で被告を本件保育園の保母とする雇用契約を締結し、被告が就労した事実を認め、雇用期間については否認する。
2 同2(期間の満了)は争い、同3(紛争の存在)の事実は認める。
三 期限の定めに関する原告の主張
1 当事者の主張
被告は、本件雇用契約は、期間の定めのない契約であり、本件保育園における保母の定員減という特別な事情が生じた場合に限り契約終了があり得ると主張する。しかし、本件雇用契約は一年以内の期間の定めのある契約であり、しかも、被告が主張するような条件は決してなかったものであり、被告の主張は、以下の検討の結果から失当であるというべきである。
2 本件雇用契約締結のときの内容
(一) まず、本件雇用契約が締結されるとき、当事者が期間について、どんな約束をしたか、その内容を検討してみる。この点、原告代表役員であり、本件保育園園長であつた松浦と被告とが昭和六〇年三月二五日ころ、期間を同六〇年四月五日から同六一年三月二四日までとする一年以内の期間を定めた雇用契約を締結したことは、以下の理由から明かである。なお認定のしようによって、右期間の始期は、昭和六〇年三月二五日であるとする余地もなくはないが、仮に、そうだとしても、本件雇用契約が、一年以内の期間を定めたものであることについて変わりがない。
(二) というのは、本件全証拠を斟酌すると、この争点との関係で次の事実が整理できるからである。
即ち、
京都市内では、年々乳幼児の減少が見られ、仮に、数が減少すると京都市民間保育園職員給与改善制度(以下「プール制」ともいう。)の基準によって、保母の定数が減少することがある。特に、本件保育園のある中京区では、人口流出、出生率の低下等で乳幼児の数が非常に減っている。プール制では保母の定数が次年度以降減った場合の補償として、現員保障の制度があるが、これも年数、人数に限りがあり、不安定である。原告は、本件保育園では、園児募集のポスターをはるなどして経営努力している。しかし、本件保育園は、定員一五〇名について、何年も前はほとんど三歳児以上のいわゆる幼児園であり、二歳以下三歳未満児は数えるくらいしかいなかったのに、昭和六〇年度から、一歳児を入園させないと定員を満たすことができないような状況に変化した。この場合、本件保育園には建築構造上難しい問題がある。ところで、松浦は、昭和六〇年ころ、原告代表役員、本件保育園園長であるとともに、社会福祉法人壬生老人ホーム(以下「壬生老人ホーム」ともいう。)の専務理事であった。壬生老人ホームは、昭和六〇年二月ころ、日勤の寮母を一人アルバイトで採用することになった。壬生老人ホームは、特別養護老人ホームであるため、寮母の定員は決っているうえ、既に定員が満ちていた。そのため、松浦は、壬生老人ホームの監事であるとともに仏教大学教授であった森田久男(以下「森田」ともいう。)に対し、日勤のアルバイトという形で斡旋を依頼した。松浦は、昭和六〇年二月ころ、森田の紹介の被告と初めて会い、採用の面接をした。松浦は、被告に対し、そのとき、「六一年三月末までの雇用契約とする。但し、継続することも、正職員として採用することもある。」と記載されたアルバイトの条件書を手渡すとともに、雇用期間が一年間であること、及びそれが原則だが継続する可能性もあることを説明し、採用した。その後、本件保育園で、昭和六〇年三月二〇日過ぎ保母の欠員が生じたが、被告が壬生老人ホームの面接で、できれば保育園へ行きたいという希望を言っていたこともあり、松浦は、被告に対し、そのころ、電話で本件保育園の方に枠ができたから、特に期限は一年ということであれば本件保育園の方にどうかと尋ねたところ、被告が応じた。当時、本件保育園には、保母の定員枠に壬生老人ホームのような条件はなかったが、被告は、雇用期間について、壬生老人ホームのアルバイト寮母と同じと伝えた。それは、先の通りの保母の定数が減少する危険性があったためである。従って、松浦は、被告と、その後、昭和六〇年三月二五日ころ、面接し、雇用期間が一年間であること、及びそれが原則だが継続する可能性もあることを合意内容とし、雇用契約を締結した。継続する可能性というのは、雇用期間が一年間で終了するものの、経験のある職員の方がベターなので、あらためて雇用する余地があるということである。しかし、松浦は、被告に対し、特に園児の数が減ったら辞めてもらうとか、昭和六一年度に保母の定員が満つれば継続するとかの条件は決してつけなかった。なお、被告が昭和六〇年三月二五日から本件保育園で就労することになったので、雇用期間の一年間とは、昭和六一年三月二四日までを意味した。被告は昭和六〇年三月二五日から同年三月三〇日まで就労したあと、春休みを経て、同年四月五日から昭和六〇年度保育に再度就労した。ところで、本件保育園は、かつて、保母の採用に当たって、雇用期間を一年間と限った例が、昭和五八年三月末に面接し、採用した保母松本和美(以下「松本」ともいう。)についてある。しかし、本件保育園は松本について、同年四月に入り、正職員として採用することに変更したので、本人にその旨通知し、直ちに社会福祉事業振興会(現在の社会福祉医療事業団)等の共済会の加入手続きをした。従って、本件保育園は、松本について、当初から正職員と理解していたので、翌昭和五九年四月、更新ということもあり得ないので、何らの手続きもとっていない。そういう経過があるので、松浦は、一年間の期限のある者との間に、きちんと契約書を作成しようとした。そこで、松浦は、被告に、昭和六一年四月一五日までの日に、就任年月日昭和六〇年四月五日、雇用形態非常勤、雇用期間自昭和六〇年四月五日至昭和六一年三月二四日と記載した職員雇用契約書を手渡し、署名・押印を求めた。被告は、この契約書を自宅に持ち帰ったうえ、本件保育園に対し、手渡された日の翌翌日くらいに、署名・押印のうえ、提出した。なお、このとき使用した契約書は、社団法人京都市保育園連盟(以下「保育園連盟」ともいう。)が書式を作成し、配布したものであった。本件保育園は、保育園連盟に対し、昭和六〇年四月一五日までに、プール制規則五条にいう「常勤職員」として登録し、同月下旬、被告との間に交わした契約書の写しを提出した。なお、本件保育園は、昭和六〇年度において、一年以内の期間の定めのある契約をした被告、石井清子(以下「石井」ともいう。)、山口裕子(以下「山口」ともいう。)の三人の保母について、社会福祉事業振興会及び財団法人京都府民間社会福祉施設職員共済会の加入手続きをとらなかった。それは、両方とも一年以上掛け続けなければ給付を受ける資格ができないので、雇用期間が一年(三六五日)未満の者では意味がないうえ、特に、後者の共済会については、雇用者本人も掛金の一部を負担しなければならないためである。従って、本件保育園は、昭和六一年四月一日、石井と山口をあらためて正職員として採用したので、同年五月一日付で、二人について二つの共済会に加入手続きをとった。本件保育園は、そのとき、後者の共済会の加入について、本人の承諾が必要なので、承諾書をもらった。
という事実である。
(三) ところで、被告は、これに対して、要するに、本件雇用契約の締結に当たって雇用期間という点で原告と合意したのは、本件雇用契約は、期間の定めのない契約であり、保母の定員減という特別な事情があった場合に限り契約終了があり得るにすぎないことを内容としていたと反論するようであるが、次の点から右反論には合理性を欠き、採ることができないというべきである。
即ち、
<1> 被告は、仏教大学教授森田から、壬生老人ホームの寮母の職を紹介されたとき、森田から、一応アルバイトというふうにはなっているが、試用期間のようなもので、すぐに正職員になれるという説明を受けたというが、森田がそのような説明をすることはあり得ない。というのは、松浦が森田に依頼するときにアルバイトという形でといったことの外、森田は、当時、壬生老人ホームの監事であったうえ、かつて、福祉施設の行政を担当する京都市民生局長を歴任しており、特別養護老人ホームの寮母には定員枠が存することを充分認識しており、希望すればいつまでも働き続けられ、更に、すぐに正職員にまでなれるなどという説明をするはずがないからである。また、被告は、どんな内容の説明を受けたかについて、あるときは、「試用期間のようなものだから、すぐに正職員になれる」と聞いたかとの質問に「はい」と答えたり、あるときは、「試用期間のようなものなので、いずれは正職員になれる」と聞いたと言ったりして、食い違っているからである。
<2> 被告は、本件保育園の雇用条件は、壬生老人ホームの条件とは、関連性がなく、松浦が被告に対し被告主張のような保母の定員減という特別な事情があった場合に限り契約終了があり得るという内容を説明し、被告がこれに対し何も質問をしないまま了承して決まったという。仮に、本件保育園の雇用条件が被告主張のようだと、被告が何も質問をしないはずがなく、つじつまがあわない。というのは、被告は、大学卒業後、四月からの生活があり、とにかく就職しなくてはいけないと思っており、しかも、ずっと働き続けられるところを希望していたにもかかわらず、京都市の保母試験にも落ち、昭和六〇年二月になってもまだ就職先が決まっていなかったところ、壬生老人ホームでは、被告の理解では必ず正職員になれるにもかかわらず、本件保育園だと被告の理解によっても保母の定員減がある場合には契約が終了し、被告がなりたかった保母をやめねばならないこともあるわけである。しかも、被告の主張によると松浦から子供が減る傾向にあることを聞かされていたのである。従って被告とすれば、当然、定員減の可能性の度合などを尋ねざるを得ないはずであり、何も質問もせず了承したというのは、被告の主張が真実でないからである。
<3> 松浦自身がその後被告について共済会加入手続きをとらなかったことも、松浦が被告に対し被告が主張するような期間の定めのない雇用契約をしたはずがないことを裏付ける。というのは、社会福祉事業振興会及び財団法人京都府民間社会福祉施設職員共済会においては、両方とも一年以上掛け続けなければ給付を受ける資格ができないので、雇用期間が一年(三六五日)未満の者では意味がない。そのため本件保育園は、昭和六〇年度において、被告ら三名の一年雇用の保母について加入手続きをとらなかった。しかし、本件保育園は、昭和六一年四月、あらためて正職員として採用した他の二人の保母については、本人にその旨通知したうえ、さっそく加入手続きをとったし、昭和五八年度においても、四月中にあらためて正職員として採用を決定した松本についてさっそく加入手続きをとったためである。
<4> 原告が、松本は勿論のこと、石井、山口に対しても正職員にするに当り、何らの通知も手続きもとらなかったのは、被告を含むこの者らとの間の雇用契約が期間の定めのないものだからという反論があるかもしれないが、前提を誤っており、被告主張の理由にはならない。原告は、松本、石井、山口を正職員とするとき、その旨通知したうえ、あらためて正職員としての雇用契約を締結している。京都府民間社会福祉施設職員共済会に加入するには、本人の負担があることを説明し、本人の承諾書(印が必要)を必要とするから、通知なしにはできないからである。
<5> 被告は、松浦から、昭和六〇年四月、雇用形態、雇用期間等が書き込んである職員雇用契約書を手渡されたが、被告の主張によると、そのとき松浦は内容について何ら説明をしなかったとのことであるが、それにもかかわらず、その翌翌日、提出するとき、松浦との間に何らのやりとりもなかったという。仮に、本件保育園の雇用条件が被告主張のようだと、被告が何も尋ねないはずがなく、つじつまがあわない。というのは、被告は、契約書を自宅に持ち帰ったうえ、署名・押印のうえ提出するまでの間に、二、三日あったので、充分目を通すことが可能であった。従って、仮に、本件雇用契約が、被告の主張するように期間の定めがないものであったなら、被告の方からでも松浦に対し、食い違いを積極的に尋ねざるを得ないはずであり、何もやりとりがなかったというのは、被告の主張が真実でないからである。
<6> 被告は、松浦から、本件雇用契約が昭和六一年三月二四日で終了する旨通告を受けた後、同年二月一日及び同年二月四日、早退して就職の面接に行ったが、それは、被告自身、本件雇用契約が同年三月二四日までの期間の定めのあるものであることを充分認識していたことを意味する。というのは、被告は、昭和六〇年九月、京都私立保育所労働組合(以下「組合」ともいう。)に加入し、その後、組合活動にも参加していたところ、松浦からの右通告後、組合副委員長の神戸房枝や中京支部の役員らと話しあったうえで、わざわざ早退までして、次の就職先を探すための面接に行ったわけである。それは、被告が、本件雇用契約が期間の定めのあるものと認識していたためにほかならないからである。
<7> 被告が加入する組合が昭和六一年三月一四日に原告を相手方として京都府地方労働委員会(以下「地労委」ともいう。)に申請した斡旋の申請書には、本件雇用契約が「一年雇用契約」であるとの記載はあるが、被告が本裁判で主張するような「期間の定めのない契約」とか、「保母の定員減という特別な事情が生じた場合に限り契約終了があり得る。」とかいう記載は一切ない。しかも、その斡旋内容を報告した地労委事務局編「京都府地方労働委員会年報(昭和六一年版)」七二頁の「壬生寺保育園争議」の項を見ても同様である。それどころか、申請組合がする事実の説明等をまとめた同頁の「申請までの経過」では、「壬生寺保育園には一三人の保母が在職しているが、そのうち三人は『一年以内の雇用契約』であった。」と報告されている。更に、いずれも「八六・三・一五」の日の消印が押してある要請書にも、「一年雇用契約」という記載はあるが、被告が本裁判で主張するような内容の記載はない。これは、被告自身、本件雇用契約が昭和六一年三月二四日までの期間の定めのあるものであることを充分認識していたことを意味する。というのは、被告は、<6>のとおり、組合に加入し、松浦からの雇用契約を終了する旨の通告についても組合役員らと話し合っていたうえ、地労委に斡旋を申請するに当たっても組合役員と打ち合せをしたにもかかわらず、組合提出の斡旋申請書及び組合役員が送付した要請書には、「期間の定めのない契約」ないしその内容を示す言葉が一切記載されていないためである。なお、被告は、右の理由として、当時、組合内で、雇用契約を一年と書いた契約書を押し付けることが不当だという議論があったからと主張するが、おかしい。仮に、そのような議論があったとしても、その場合、被告の、本裁判で主張する「期間の定めのない雇用契約をした労働者に対する解雇」ということが中心として記載されたうえでのものでなければ不合理だからである。
という理由からである。
3 プール制における常勤職員としての登録
(一) 次に、職員配置基準に関する運用細則(以下「運用細則」ともいう。)五条の「常勤職員」に登録されること、ないし、職員の待遇を右条項の条件に合致させることが直ちに正職員と認めることにつながるかについて検討してみる。この点、原告が被告と雇用形態非常勤、雇用期間自昭和六〇年四月五日至昭和六一年三月二四日という期間の定めのある雇用契約を締結して雇用した場合、右条項五条の「常勤職員」として登録できること、また、仮に、登録したとしても、ないし、登録したうえ待遇を右条項の条件に合致させたとしても、それによって正職員と認めたことにならないことは、以下の理由から明らかである。
(二) というのは、本件全証拠を斟酌すると、この争点との関係で次の事実が整理できるからである。
即ち、
京都市民間保育園給与のプール制とは、昭和四七年に創設された、各民間保育園の措置費(人件費分)と京都市の単費援護費をプール財源とし、全園統一した給与基準及び職員配置基準等に基づいて、各園に必要額を配分する仕組みであり、全国で京都市のみが実施している制度である。プール制の配分システムは、その財源が赤字になり運用が困難になったりすると過去何度も変更されてきた。各保育園は、職員の雇用に必要な費用をプール制の配分ですべてを賄えるわけではないため、人件費に使うのであれば、格付表の上下二号の弾力的運用は可能だとされている。つまり、プール制は、精算基準なのである。従って、プール制というのは、あくまで人件費の財源の配分をする制度であり、プール制と保育園との関係は、保育園と職員との雇用関係と異なるものである。そのようなプール制に登録する意義は、経営者にとっては必ずしも利点ばかりがあるわけではないが、職員にとっては、<1>ボーナスがでること、<2>(仮に、一年間の期間のある者でも、登録すると、一年後に)他の保育園に移っても格付けの号の勘定の際、前年度の分が加算され、実積があるという計算になることという利点がある。ところで、プール制に「常勤職員」として登録できる者は、昭和六〇年四月現在では、運用細則五条によると、各号で定めた条件を満たした職員で、「臨時的雇用契約(一年未満の期間)の職員は除く」と規定する。ここでの臨時的雇用とは、雇用期間が二、三か月のいわゆるパートタイマーとかをさし、右細則五条にいう「常勤職員」は、保育園と職員との雇用関係における正職員たる常勤職員そのもののみを意味するのでなく、<1>保育園と職員との雇用関係における正職員たる常勤職員そのもの、と<2>雇用期間が丁度一年の期間の定めがある、保育園と職員との雇用関係における非常勤職員の双方を意味すると理解され、運用されてきた。このことは、保育園連盟の特別委員会たる性質を有する機関であるプール制委員会においても、かなり前から議論されてきた結果である。各保育園は、雇用期間を一年間に限った期間の定めのある雇用契約をした者でもプール制に登録できることを承知していたし、保育園連盟でも登録を受け付けてきた。現に、後藤典生が園長である永興小金塚保育園は、昭和五六、五七年ころから、雇用期間一年間の非常勤職員のほとんどについて、プール制の登録を申請し、保育園連盟は受け付けてきた。しかも、この場合の一年間というのは、三六五日を意味するものでなく、プール制が月単位で処理されているため、連続した一二か月をさし、しかも、最初の月は、遅くとも一五日までに、また、最終の月は、早くとも一五日まで雇用されておれば、それぞれ一か月と数えてよいと理解され、運用されてきた。右の月の一五日を基準にして判定するというやり方は、プール制の処遇改善委員会の審査決議による。現に、先の永興小金塚保育園が登録を申請したときの一年間とは、入園式の四月五日ないし六日から、翌年三月末の二、三日前まで、場合により三月二〇日から二五日までの間までであった。以上のようなことは、プール制は、あくまで財源を配分する制度なので、ゆるやかに運用されていたためである。このような状況のもと、原告と被告とは、昭和六〇年三月二五日ころ、昭和六一年三月二四日までの雇用期間を一年間とする期間の定めのある雇用契約を締結した。松浦は、かねてから、運用細則五条にいう「常勤職員」とは、雇用期間の定めのある非常勤職員であっても、その雇用期間が一年間であれば含まれると理解していたので、昭和六〇年四月一五日までに、被告について、右にいう「常勤職員」に該当するとして登録の申請をした。松浦は、保育園連盟に対し、同月下旬、被告との間に交わした契約書の写しを提出した。松浦は被告をプール制の「常勤職員」に登録しても、決して正職員にする意思がなかったので、契約書作成に当たっては、保育園連盟が作成し、配布した用紙を使い、被告との雇用関係は非常勤なので、雇用形態の項について「非常勤」に○印をしたわけである。但し、原告と被告との雇用契約は、賃金の支払いについて日給制としていたので、この申請は、同条三号の給与が月額で支払われることという点で、運用細則五条の条件を満していなかった。松浦は、この点、気が付かずに申請した。しかし、保育園連盟は、被告の登録を認めた。その後、原告は、京都市民生局保育第一課(以下「保育第一課」ともいう。)による昭和六〇年民間保育園監査を受け、昭和六〇年一二月一七日付の監査結果の通知によって、「プール制格付保母」である被告の「給与実態が非常勤扱いであるが、是正すること。」という改善を勧告された。松浦は、予め、口頭で聞いていたこともあり、被告について、昭和六〇年一〇月分の給与から、それまでの日給制を改め、月給制としたが、これは、あくまで松浦の善意と好意とに基づいただけのものであり、被告を正職員と改めたわけではない。保育園連盟の理事会は、昭和六一年八月一日、運用細則五条について、プール制に「常勤職員」として登録できる者は、従前と同じ各号で定めた条件を満たした者で、「臨時的雇用契約(期間の限定のある契約)の職員は除く」というように一部改正した。この結果、各保育園は、従来、登録ができた雇用期間を丁度一年と限定して雇用した職員について、登録できなくなった。この改正は、プール制の常勤ということの定義を明確にすることと、登録の範囲を狭くする方向で明確にすることによって、財源をスリムにする(負担を軽くする)ことが根底にある。
という事実がある。
(三) ところで、被告は、これに対し、要するに、原告が被告をプール制に「常勤職員」として登録したことが被告を正職員と認めたことであると反論するようであるが、次の点から右反論には合理性を欠き、採ることができないというべきである。
即ち、
<1> 被告は、運用細則五条には、「臨時的雇用契約(一年未満の期間)の職員を除く」とあることから、右条項にいう「常勤職員」には期間の定めのある雇用契約をした者は除かれるというが、そのような限定はなく、右「常勤職員」には、雇用期間が丁度一年である場合、期間の定めのある雇用契約をした者も含まれる。というのは、雇用期間が、丁度一年の者は、右条項の「一年末満の期間」である「臨時的雇用契約」に法文上そもそも該当しないし、また、プール制は、各保育園に財源を配分する精算基準であるため、プール制と保育園との関係は、保育園と職員との雇用関係とは異なるものであること、各保育園は、雇用期間を一年間に限つた期間の定めのある雇用契約をした者でもプール制に登録できることを承知していたし、保育園連盟でも登録を受け付けてきたことからである。また、その後、保育園連盟がプール制の規則を一部改正し、わざわざ「臨時的雇用契約(期間の限定のある契約)の職員を除く。」としたのは、プール制の財源が赤字状態であるところ、プール制の「常勤職員」の定義を明確にすることと、登録の範囲を狭くする方向で明確にすることによって、財源をスリムにする(負担を軽くする)ことが根底にあったためである。それはまさに、従来、雇用期間を一年とする期間の定めのある雇用契約をした者も運用細則五条にいう「常勤職員」に含めてきたからに外ならない。
<2> 運用細則五条にいう「常勤職員」に、仮に、雇用期間を一年と限定した者を含むとしても、それは三六五日でないといけないという反論がありそうだが、雇用期間がある年の四月一五日までの日から翌年三月一五日以降の日までであれば、三六五日より日数は少ないが右条項についての議論において一年丁度の雇用期間に含まれる。つまり、登録できる。というのは、右における一年間というのは、連続した一二か月をさし、しかも、最初の月は、遅くとも一五日までに、また、最終の月は、早くとも一五日まで雇用されておれば、それぞれ一か月と数えてよいと理解され、運用されてきたためである。
<3> 原告が被告をプール制にいう「常勤職員」の登録を申請するに当り、保育園連盟が登録を認めたのは、原告が被告との間に交わした雇用契約書の写しを提出しなかったから、という反論がありそうだが、その議論は実益がない。というのは、規則で、新規常勤職員の場合、労働条件等の内容が明記された雇用契約書の写しを添付することが要求されており、欠かすことができないこと、松浦は、保育園連盟に対し、昭和六〇年四月下旬、期限に数日遅れたが現に契約書写しを提出したこと、契約書写しは、保育園連盟が保管するものであり、その保育園連盟が提出していないといったからとて、原告は、提出の受領書ももらっておらず、現に提出したものはしたものだとしか言えないこと、保育園連盟は、従来、雇用期間が一年という期間の定めのある雇用契約であることを明らかにした場合でも登録を受け付けてきているため、契約書の写しを提出してもしなくても、登録できたかどうかについては、結論において差がなく、隠す実益がないことからである。
<4> 本件保育園には昭和六〇年ころプール制における「常勤職員」の定数枠に余りがあったにもかかわらず、それを非常勤職員によって埋めたのは不合理という反論があるかもしれないが、本件保育園が、国の決めた最低基準を満たしておれば、その余のことは当該保育園の裁量の範囲のことであり、右反論は、失当である。というのは、基本的には経営者の裁量の問題であること、京都市は、各保育園に対し、各保育園が国の決めた最低基準である措置基準を守っている限り、仮に、プール制における「常勤職員」の定数枠に余りがあっても、正職員を必ずしも雇用して定数を埋めなければならないわけではないと指導していることからである。
<5> 本件保育園が被告について昭和六〇年一〇月分の給与から、保育第一課の監査による勧告によって、従来の日給制から月給制に改めたことは、被告を正職員として認めたことだという反論があるかもしれないが、月給制に改めたことをもって被告を正職員と認めたことにはならない。というのは、被告は、昭和六〇年四月時点で既にプール制にいう「常勤職員」に登録されていたが、本件保育園との関係で未だ雇用関係を一年とした期間の定めのある非常勤職員であったわけで、そのプール制の条件である月給制に合致させたからといって、本件保育園と被告の雇用関係には何ら影響がないこと、原告が月給制に改めたのも、あくまで松浦の善意と好意に基づいただけのものであること、京都市が各保育園に対し、その保育園がそれまで職員と非常勤の雇用契約をしているのに、それを常勤の形態に変えるように勧告ないし指導する権限は、いくら監査の結果だとしてもどこにも存しないことからである。
という理由からである。
4 その余の問題
その余の問題として、まず、本件保育園が被告を他の正職員である保母と同じ内容の仕事に就かせていたことが、被告の雇用形態に影響を及ぼすか、である。この点、正職員の範囲を上回る内容の仕事に就かせたわけではないので、あくまで期間の定めのある雇用契約であることには何ら影響を及ぼさないと解すべきである。次に、本件保育園が昭和六〇年度、三人について期間の定めのある雇用契約をしていたのに、そのうちの二人のみを正職員にしたことが残りの被告に対して違法でないかが問題となる。しかし、三人についていずれも期間の満了によって雇用契約が一旦終了したあとであるから、そのうちの二人のみであったとしてもあらためて正職員として採用しても経営者の自由であり、何ら問題がないというべきである。
5 結論
以上の検討から、本件雇用契約は、原告が主張するとおり、一年以内の期間の定めのある契約であることが明らかである。
そうだとすると、本件雇用契約は、一年毎の更新を繰り返した後に期間の満了を主張したという事実ではないので、右に検討したとおり本件雇用契約が期間の定めのある契約であることが明らかになったことによって、その余の判断を待つまでもなく、原告の請求が認められるべきである。
四 期限の定めに関する被告の主張
1 期限の定めに関する原告の主張に対する認否
期限の定めに関する原告の主張の事実中、京都市ではプール制という制度が採用され、原告が被告を京都市保育園連盟に対しプール制における常勤職員として届け出ていたこと、同制度の運用細則五条には、常勤職員の条件が規定され、「臨時的雇用契約(一年未満の期間)の職員は除く。」とされていたことは、いずれも認める。
2 権利としての保育
本件労働契約の性格やその効力を判断するためには、保育園における保育及び保育労働の意義を明確に認識することが不可欠の前提である。そして、現在の社会ならびに法制度の下で、保育所における保育は次のような意義を有している。
(一) 子供の成長・発達権の保障
(1) 子供は、将来における無限の可能性を持つ人格であり、適切な保育・教育を受け学習することによって人間的に成長し発達する権利を有する。またこの権利は、他の基本的人権を将来にわたり実質的に享受し保障していくための基礎ともなるべき重要な権利である。そして、右の様な権利が憲法上も子供に保障された基本的人権であることは今日もはや異論がない。即ち、児童福祉法一条は「すべて児童は、等しくその生活を保障され、愛護されなければならない」(二項)と定め、二条は「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」と謳うが、これは国民の生存権の保障及びその実現に努むべき国の責務を規定する憲法二五条一、二項をそれぞれ受けて定められたものであること、またそのうち特に児童の精神的発達や成長面での育成の保障について、すべての国民に「教育を受ける権利」を保障した憲法二六条がその基底にあること、さらに一人一人の人格を個人として尊重し、生命、自由のみならず幸福追求の権利を保障した憲法一三条がその基底にあることは、いずれも自明のことである。
そして、このような子供の成長、発達権を実現するための直接の担い手であるのは、親・保護者のほか、保母であり保育園である。また国、公共団体は、右権利実現に必要な人的・物的基準を定めこれを実現するなどの制度的保障の責務がある。
(2) ところで、子供の成長・発達には、親・保護者による保育だけではなく、保育園における保育がきわめて重要である。
即ち、保育所は、右に述べた憲法、児童福祉法、児童憲章などの精神に基づいて、それを具体的に実現するための施策のひとつであり、その第一の目的は、「子供たちが、どんな環境に生まれても、本当に豊かに健やかに育つことができるんだという、そういう権利を守るための社会的な施設である、ひとりひとりの子供がどういう家庭に生まれても、十分その能力を引き出されて育っていくように、そういう環境と働きかけを与えてあげる場所」であるということである。また、第二の目的は、親や保護者の労働権の保障であり、第三の目的は、特に女性の働く権利の保障である。この様な目的を達成するため、保育所における保育の内容は、<1>家庭に代わって、子供たちがのびのびと生活する場、楽しくゆったりと生活できるようにすること、<2>零歳から就学前というとても成長発達の著しい大切な時期に、ひとりひとりの子供の発達段階をきちんとつかんできめ細かい適切な働きかけや活動をしてより豊かに伸ばしていくこと、<3>子供たちが、保母や友達同志のかかわりの中でより豊かで楽しい生活作りと心身の成長をはかること、ことにそのふれあいの中で、笑い、怒り、泣き、心配しまた様々な人間関係を学び、他人に対する思いやりや自制心を身につけていくこと、これらを総合的に組み合わせて毎日の生活を作っていくものとなっている。これらはいずれも、家庭と保育園が連帯したとき最もよくなしうるものである。
また、将来の人格形成にとって、乳幼児の時期に生活にリズムをつくりそれによって生活に必要な基礎的習慣を養うことも重要であるが、これも家庭と保育園が連帯したときに最も良くなしうることである。特に、保育園では日課が決められており、これは子供集団の要求や発達の状態にあわせて厳密な検討のもとにつくられるものであるから、食事・午睡・遊び・散歩などの活動に全員参加できる基盤を作り集団としての共同生活を可能にするだけでなく、一緒に遊び一緒に食べる等集団の一斉活動に参加することによって生活時間の変動が少なくなり日課が安定するのである。
(3) そして、保母による保育は安定した状態で継続的に担われる必要がある。
この点は、自ら一二年という保母経験を持つ(うち三年は主任保母)神戸証人の証言によって明解に示されている。即ち、現場での保育にあたり重要なことは「一人一人の子供ときちんと信頼関係を持つ、心のつながりができるということ」や「一人一人の子供がどんなふうに発達してきているのか、例えば言葉が出始めたときには、次の発達に向けて、助詞をきちんといれて話をすることが身につくように気を付けて言葉かけをするというふうに、その発達段階にあった丁寧な働きかけがとても大切」であり、これらを身につけるには「学校や本で、専門的な勉強をすることも大切」であるが、それだけでなく「その基礎の上にたって現場で経験を積むこと、それから現場の仲間同志の中でしっかり学びあうこと」や「何回か失敗を繰り返したり、現場でいろんな子供と接したり、あるいはいろんな年齢の子供を担任する中で、ゼロ歳から就学前までの発達の段階を見通して、その上に立って深い保育ができる」という深い経験が不可欠である。また子供の立場からみても「特に年齢の小さい子供達は、一対一の心のつながりというもので大切ですので、一人の保母さん、あるいは複数の担任でもですけれども、安定して担任をしつづける、つまり継続していくということがとても大切です。保母がころころ入れ替わったりすると子供がとても情緒不安を起こしたりしますので、腰を据えて働きつづけるということがとても大切」であり、保母が短期間で入れ替わるのは有害である。さらに同僚保母との関係からみても「保育園の生活の中ではクラス別の保育もありますし、朝夕みんな一緒に遊ぶときもありますし、担任だけでなしに園全体の職員が子供に当りますので、一人一人の先生によって、子供に対する接し方が全く違うというふうなことでは、子供が落ち着きませんので、お互いに本当に職員同志がきちんとしたチームワークをとるということが大切ですし、そういう点でも保母がころころ入れ替わるようでは、職員集団をきちんと作ることができませんので、安定して働き続けられるということの保障がとても大切」である。いずれの観点からも安定した継続雇用の必要性は明らかである。
このことは、京都市保育園連盟も等しく認めるところであり、例えば「子供の人数が揃わない場合であっても、在職する認定職員は保障するという考えを採り入れ、解雇問題が生じないように予防策をたてた」のであり、また「しかし保育園が他の事業と異なるのは、次代を担う子供を保育・教育するという仕事を背負っていることである。職員が不安定な中で、子供だけが健やかに立派に育つということは考えられない。子供は、よい環境のもとで育てられる権利をもち、そのためには人的、物的、両面からの保障がされなければならない」のである。
この点に関しては、原告代表者松浦園長でさえ「やはり一年間、経験を積まれた方に継続してもらうというのがベター」と証言している(それにもかかわらず本件の場合は、被告と一緒にもも組を担当した佐藤保母の退職も決まっていたため、被告も解雇されると、もも組は継続して担当する保母がいなくなる状態にあった)。
(二) 保母の保育の自由
右(一)のような、子供の権利としての保育を実現するためには、保母には保育の権利ないし保育の自由が認められなければならない。即ち、保育は発達しつつある子供を対象としているのであるから、その発達をより豊かにするためには「自由と尊厳の状態」の下におかれていることが不可欠であり(国連・児童の権利に関する宣言第二条)、保母に何らの権利・自由が認められないところで子供だけに「自由と尊厳の状態」が保障されることはありえない。また保育の専門家である保母が、個々具体的な状況のもとで子供の成長・発達権の保障という保育の理念を実現するために考え行動することは、日々発達しつつある子供を対象とする保育の特質からみて当然に予定されているところであり、保母に何らの権利・自由が認められない硬直、画一的保育は却って子供の成長・発達を妨げることが極めて明らかだからである。
(三) 保母や親、保護者の労働権の保障
(1) 保母が労働の権利を有することはいうまでもないが(憲法二八条)、特に、適正な労働条件のもとで安定した就労を保障されているか否かは保育という仕事を通して子供達にも微妙な影響を与える。保母を劣悪な労働条件下におくことは、保母の懸命な努力にも拘らず、子供達を劣悪な保育環境下におくことに他ならないのである。保母の不安定就労は、不安定な保育に直結する。したがって、保育を受ける子供の権利を実質化するためにも、保母の労働権がきちんと保障される必要がある。
(2) また親、保護者にとって安心して子供を預けることができる保育園の存在は不可欠であり、同人らの働らく権利を実質的に支えるものである。
以上の様に、子供の保育を受ける権利は明確な根拠をもつ確立された権利であり、その担い手である保母は、自らの労働権としてだけでなく、保育の直接の担い手として子供の右権利を実現するためにも、安定かつ継続した良好な労働条件の下で保育にあたる権利を有する。保母と園との間の労働契約の性格やその効力を判断するに際しては、この観点がまず重視されなければならない。
3 雇用契約の内容
(一) 被告の壬生寺保育園保母としての採用の経過
(1) 被告は昭和六〇年三月、仏教大学社会学部社会福祉学科を卒業したが、右卒業前の同年二月二〇日頃、同大学の森田久男教授の紹介により原告代表者松浦俊海(以下、松浦という)が理事を務める社会福祉法人壬生老人ホームの面接を受け、同ホームの日勤寮母として雇用されることになっていた。
(2) しかし、その後同年三月初め頃、原告が経営する壬生寺保育園において常勤保母が急に退職することになったため、被告が保母資格をもち保母になりたいことを知っていた松浦は、被告に対し「保育園に急に辞める保母があってあきができたので保育園で保母として働かないか」との勧誘を電話によっておこなった。
被告は右の誘いを受けて、数日後園に行き、松浦との面接を受けて園の保母として雇用される旨の雇用契約を締結した。その際、賃金については交通費なしの日給四三五〇円とされた。また、雇用期間について、松浦は被告に対し、「このごろ保育園も定員割れの傾向があって、あなたもご存じのことと思いますけれども子供が集まり難い状況になっていて壬生寺保育園でも例外ではないということと、そういうことなので来年子供が定員全部集まらずに保母に減員が出る場合がある、そういうときには、誰を辞めてもらうかということで悩まなければいけないので、保母を辞めさせなくてはならなくなったときには辞めてもらうかもしれないということと、そうでなければずっと働き続けてもらうということ」の説明をなし、被告もこれを了承した。
(3) 被告は右雇用契約に基づき同年三月二五日より園において保母として就労を開始し、同年四月五日からはもも組担任として零・一歳児担当の保母として就労した。
(4) 同年四月一五日頃になって、原告は保育室で就労中の被告に対し「職員雇用契約書」という表題の一枚の紙片(乙第二号証)を手渡し、内容についての説明を一切しないまま署名押印して提出するように求めた。
右書面の記載内容は、賃金額及び勤務時間について前記原・被告間において合意した契約内容および現実の就労内容とは異なっていた。また、雇用期間についても、被告は昭和六〇年三月二五日より雇用されているのにかかわらず同年四月五日が開始日とされていた。また、雇用期間についての前述した合意内容、即ち「次年度保母の定員割れが生じた場合には契約が終了するかもしれないがそうでなければ雇用を継続する」との合意内容は記載されていなかった。
しかし被告は、既に就労が開始されており松浦からは何らの説明もなかったので、本書面は形式的なものにすぎず契約は従前の合意どおりであって変更されることはないと信じて本書面に署名押印して松浦に提出した。
(二) 本件雇用契約の成立およびその内容
(1) 右の経過から明らかなとおり、被告を園の保母として雇用するとの原・被告間の雇用契約は昭和六〇年三月始め頃、原告が被告に架電した数日後において原告と被告が園において面接し、口頭によって合意したときに成立したものである。
その際、原告は被告に対し、雇用期間について前述の如く明確な説明をなしている。従って右契約は、次年度保母の定員減が生じた場合には解除できる場合もあることを認めた期限の定めなき雇用契約に外ならない。
(2) 原告は、前述の乙二号証にある期間についての記載を根拠として、本件雇用契約を昭和六一年三月二四日までの期間の定めのある雇用契約であると主張する。しかし、前述のとおり、乙二号証の書面は既に原・被告間の雇用契約が締結され、被告が就労を開始してから一ケ月近く経たのちに現実の勤務条件とは異なる実質的意味のない形式的なものとして作成されたにすぎないのであり、右書面の記載をもって本契約の内容であると主張することはできない。
(三) 壬生寺保育園の最近における保母採用
(1) 園においては昭和五八年に松本和美を保母として採用し、翌五九年は採用がなかったが、同六〇年に被告の他に石井清子、山口裕子を保母として採用している。松本、石井、山口と原告との雇用契約の内容は、原・被告間の雇用契約の内容と同様、「保母の定員減があった場合には解除できる場合もあるがそうでない限り雇用を継続する」というものであった。
(2) 松本は昭和五八年三月末、松浦の面接を受け、園の保母として雇用されることになった。その際、松浦は松本に対し園児の減少傾向を説明し、園児の減少に伴って保母定員減が生じた場合には一年間でやめてもらわなければならないかもしれない旨説明し、松本はこれを了承した。右契約時において同人の給与は日給制とされ、同人は同年四月五日頃より就労した。
その後同年四月中に、同人についてプール制の常勤保母としての登録が受理されたため、原告は同年五月より同人に対しての給与を月給制とし、同年五月五日社会福祉事業振興会に対し同人を被共済職員として届出た。
しかしながら、原告は同人に対し、同年五月からの月給制への移行および共済加入について一切の説明をしていない。さらにその後昭和五九年、同六〇年、と原告の主張によれば期間満了となる時期においても、原告と同人との間においては何らの更新手続もなされることなく、さらには契約更新についての何らの説明さえないまま、契約関係は継続している。
(3) 石井清子は昭和六〇年三月末頃、園において常勤保母定数が一人不足することになったため、原告に保母として採用された。同人は採用にあたって、大柿主任保母より定員割れが生じた場合には辞めてもらうかもしれないがそうでなければ続けて働いてもらう旨説明され、それを了承した。同人も契約時においては日給制であったが、プール制の常勤職員として登録された後の、同年一〇月より月給制となり、本俸のアップとともに業務手当、調整手当が支給されるようになった。
同人は同六一年一月頃、松浦より再度翌年園児が減少した場合には辞めてもらうかもしれない旨説明されたものの、その後は何の説明もないまま現在に至っている。
(4) 山口裕子は昭和六〇年五月頃、園において常勤保母一名が退職したため原告に保母として採用された。その際、同人は園から「来年もし子供が減ったら辞めてもらわなければいけないかもしれませんが、子供が減らなければ続けて働いてもらいます」と説明されそれを了承した。その後同人は常勤保母として登録された。同人は昭和六一年、同六二年、同六三年と何ら更新の手続きをすることなく、現在も同園において保母として働いている。
(5) 以上の様に壬生寺保育園において昭和五八年ないし同六〇年に採用されたすべての保母につき、その採用にあたって原告は、次年度保母の定員割れが生じた場合には契約が終了するかもしれないが、そうでなければ雇用を継続するとの説明をしたうえ期限の定めなき雇用契約を締結している。したがって被告との間でも、同様の説明をしたうえ期限の定めなき雇用契約を締結したことが明らかである。
ところで松浦は、松本については雇用契約書を作成していないこと、及び共済への加入手続をしていたことから、被告との契約内容とは異なる旨述べているが、右二点は何ら合理的理由とはいえない。まず契約書については、契約成立後一カ月以上経たのちに何らの説明もなく形式的に作成され、また記載内容についても実際の契約内容と異なっていたものであり、契約の成立にあたって意味のないことは前述したところであるが、さらに松浦自身松本についても契約書を作成したものと考えていたのであり、契約書の作成の有無自体契約内容の違いとして意識していなかったことが明らかである。また共済への加入も、このことをもって契約期間の有無と関連させることはできない。前述した様に、石井清子は昭和六一年においても原告より再度来年園児が減少した場合には辞めてもらうかもしれない旨説明されているにもかかわらず、原告は同年四月に同人についても共済への加入手続をしている。したがって、被告について共済への加入がなかったことをもって原・被告間の契約内容が原告と松本との契約内容と異なるという理由にすることはできない。
(四) 「プール制」に被告を常勤保母として登録していること
(1) 京都市民間保育園職員給与改善(プール制)の趣旨及び内容
<1> 右四、2で述べたように保育園における保育は子供の成長発達権を保障するという公的性格を有しており、民間保育園の運営についても国及び地方公共団体は重大な責任を負っている。
こうした観点から国は、児童福祉施設最低基準を設け、保育設備・保育時間・保育内容等についての最低基準を定めている。しかし、右最低基準は制定されたのが昭和二三年であり、現在においてはあまりにも低い内容となっており子供の成長発達権保障を満たしえないものとなっている。また、同様の観点から、保育園の運営は公立保育所であっても民間認可保育園であってもすべて公費で賄われている。即ち一つは国が定める基準に基づいて国と地方自治体とが支出する措置費であり、もう一つは右措置費の不十分性を補うため地方自治体が独自に支出する単費補助金である。このうち措置費は右最低基準を維持するものとして算出基準が定められているが、同基準も実態に合致しない不当に低い基準となっている。
そして「プール制」は、民間保育園における職員(保母・調理員等)の処遇を改善するため、昭和四七年に発足した京都市独自の制度である。これは、措置費の大部分と京都市が独自に支出する単費補助金のうちの職員処遇改善費、乳児保育対策費及び長時間保育対策費等を財源として、統一給与表と統一の職員配置基準に基づいて市内の各園に人件費の所要額を再配分するというものである。
右プール制の確立の結果、職員の定期昇給がきちんとなされるようになり、本俸については公務員に近い水準になっている。即ち、国や自治体からの措置費は元来職員の年齢、勤続年数などに関係なく支給されるために、職員が長期間継続して雇用され、園が定期昇給をおこなおうとすると園の経営を圧迫することになりかねなかった。こうした矛盾を解決するために、プール制においては一人一人の常勤職員として登録された職員の定期昇給を保障し、各園にそのために必要な財源をきちんと保障するということで園の経営と職員の継続雇用を保障しているのである。また、プール制の職員配置基準は、いまだ不十分性はあるものの国の最低基準を現状に即して引き上げており、職員の労働条件の向上が図られている。
<2> この様にプール制は、職員の処遇を改善し職員の身分を安定させることを目的としてつくられたのであるが、職員の身分保障という趣旨に基づいてさらに現員保障という制度も採用されている。
現員保障とは、措置児の変動によって職員の常勤基準数が減少した場合でも退職職員がない限りは当該職員の人件費についてプール制が保障するというものである。右制度はプール制発足当初からあったが、昭和五八年の改訂を経て昭和六〇年三月一五日に改訂され、保障対象者が一園二名とされ、保障期間も一年間となった。しかし、仮りに四月時点では定員割れが生じたとしても、一〇月一日までにもとの定数を回復すれば、現員保障対象園からはずれ、翌年度再び定員割れを生じた場合には再度の現員保障が受けられることになっている。また、保母が長期にわたって一人も退職しないという事態は現実には考えられないこともあって、右改訂によっても保母を退職させなければならないという事態は生じていない。
(2) プール制への常勤職員としての登録
プール制の職員配置基準に基づき、各園の常勤職員数が計算される。そして、各園から常勤職員として登録された職員についてはプール制によって前述の身分が保障されている。常勤に登録されるとその職員の固有の経歴に基づいて賃金の格付がされ、勤続一年につき一号俸の定期昇給がされることになっている。
ところで、職員の処遇改善及び身分保障というプール制の趣旨から「常勤職員」としての登録には一定の条件が付されている。即ち、臨時的雇用契約(一年未満の期間)でないこと、一日の労働時間が七時間以上であること、一カ月の実労働日数が二一日間以上であること、給与が月額で支払われ、日額計算となっていないこと、社会保険・共済会等に加入していることである。プール制ではこうした条件を付すことによって常勤職員として登録する者の労働条件を確保することにしたのである。
原告の主張によれば被告の雇用期間は一年未満であるから、プール制への登録はできないはずである。長期間園長職にあった松浦は右事実について十分承知していたのであり、そのために被告のプール制への登録にあたっては雇用期間を形式的に記載した雇用契約書(乙第二号証)を提出していないのである。この点について松浦は、職員配置基準に関する運用細則(乙第五号証三五ページ以下)第五条の「一年未満」とは「一一カ月以下を意味する」とまったく独自の解釈を供述する。そして更には「世間でいう常勤とプール制にいう常勤とは意味が異なるのである」とのこじつけをおこなおうとしている。しかし、前述したような職員の身分保障というプール制の制度趣旨からいって、右「一年未満」が原告の主張のような意味でないことは明らかである。「一年未満」としたのは、一年を超える期間を定めた労働契約は労基法上当然に無効とされるのであるから「一年未満」と規定することによって期限の定めのある職員はすべて除外できると考えたためである。一年未満の職員であっても常勤職員として登録することを認めることは、短期の臨時的雇用を増大させ、職員の身分を著しく不安定にすることになり、プール制の設立趣旨に明らかに反する。
昭和六一年八月一日の改訂において同規定は「臨時的雇用契約(期間の限定のある契約)の職員は除く」と改められたが、右改訂は本来の趣旨を誤解のないように正確に書き改めたものであって、規定自体の意味に何ら変更を生じたものではない。後藤証人は、四月一五日以前に就業し三月一五日以後に退職するという契約は「一年未満」に該当しないと供述し、そのことは昭和五四年にプール制において話し合いがなされ右解釈が確認されたかのように供述する。しかし、同人がいう話し合いは月の途中における職員の交代の場合に当該月の支給はどちらの職員の格付けで支給されるのかという問題であり(乙第一〇号証四八ページ<11>)、常勤職員として登録しうる者の要件とはまったく別の内容で無関係である。細川証人も、被告代理人の反対尋問に対し右<11>の意味を全く説明できずにいる。
そもそも「常勤」という言葉自体継続的雇用を意味する用語なのであって、期限付雇用を認めていると解釈することには無理がある。プール制に登録できる「常勤職員」についての原告の解釈は、本件訴訟の進行のなかで無理に創り出したものであり、被告を採用する段階においてはおよそ存在しなかったものである。
原告はプール制における常勤職員は契約期間の定めのない者でなければならないことを知りながら、昭和六〇年四月に被告を常勤職員として登録したのである。そして、原告は被告について常勤登録ができたことによって、被告の処遇を当初の契約内容にかかわらず、常勤職員としての処遇に改善しようとしたのである。即ち、同年五月には契約時には認めなかった通勤手当を四月に遡って支給するようになったし、同年からは日給制を月給制とし、常勤保母の格付に従った本俸を支給し、さらに調整手当と業務手当も支給している。原告は同年八月に京都市民生局保育一課より被告を常勤職員として扱うようにとの是正勧告を受けているのであるが、原告が被告との契約内容が期間の定めのあるものであるというのであれば、右勧告に対して被告の常勤登録を取り消すことが当然であるのに、原告は右勧告に従い、被告を常勤職員として扱うことにしたのである。
以上の経過を見れば、原告は当初より被告に対し一定の説明は付していたものの期限のない雇用契約を締結する意思であったと言わねばならない。
(五) 被告の雇用契約の継続
昭和六一年三月、壬生寺保育園においては被告を除いて三名の常勤保母が退職した。これに対し、原告は新たに四名の保母を期限の定めなき雇用契約によって採用し、同人らを同年四月以降常勤職員として登録している。さらに新たに二名をアルバイトとして採用している。以上から明らかなように、昭和六一年四月において壬生寺保育園において保母定数の減少は生じていないのであり、原・被告間の契約内容にある「次年度保母の定員割れが生じた場合」は生じていないのである。よって被告が同年三月末をもって退職させられる理由は全くなく、雇用契約に従って、被告の従業員たる地位は継続している。
五 本訴請求の抗弁
1 期限の定めのない契約への移行
仮に当初の契約時点においては両者間の契約は一年間の期限付契約であったとしても、遅くとも昭和六〇年一〇月においては期限の定めなき雇用契約に移行したと解される。即ち原告は同年八月三〇日に実施された保育一課の監査により被告の給与実態が非常勤扱いであることの不当性を指摘され、常勤扱いに是正するように指示された。そこで同年一〇月より被告に対して常勤職員としての給与支給をしているのであるが、右事実は遅くともこの時期には原告は被告に対して常勤職員としての労働条件を確保することを意思表示したと解される。期限の問題は常勤職員の主たる要件であるから、遅くともこの時期には、期限の定めのない雇用契約に移行したと解されるのである。右のように解することは松本に対する原告の対応の経過とも合致しており、自然である。
2 期限の定めの公序良俗違反
仮りに本件労働契約に一年という期限の定めがあったとしてもその定めは無効であり、そうでないとしても本件更新拒絶は無効である。
(一) 保母の労働契約に付された期限の定めは、原則として無効である。
(1) 右四、2において述べたように、保母の労働権は、保母自身の生存権として不可欠であるだけでなく、子供の保育を受ける権利をその直接の担い手として実現していくための重要な権利である。そのために保母には、安定かつ継続した良好な労働条件の下で保育にあたる権利が保障されなければならない。
ところが、労働契約に期限を付するということは、使用者の意に沿わないものを「期限満了」という口実で解雇し、園の経営だけでなく保育の内容までも使用者の恣意に委ねることに他ならず、このことは、使用者と保母の力の差を利用し、「契約自由の原則」の名の下に、保母の労働権だけでなく子供の成長・発達権や保護者らの労働権をも直接に著しく侵害するということである。これは、右各権利が憲法上基本的人権として保障されている趣旨に真っ向から反するものであって、断じて許されない。かかる期限の定めは原則として無効である(民法九〇条)。
なお、現在民間保育園に対して支払われる公費の額が園児(措置児)の数によって左右され、かつその額が不十分であることから、子供(措置児)の数が減った場合にそれによって算出される保母定数が減少し、支払われる公費も減額される事態はありえないわけではない。しかし、このような場合でも、これまで雇用してきた保母を直ちに解雇できるわけではなく、引き続き雇用することによって園に過重な財政的負担が現実に生じ経営危機に頻する高度の蓋然性が明白で(明白性)、しかもこれを避けるために他にとりうる手段がない(補充性)という場合でなければ、期限の定めが無効であることにかわりはない。保母の身分に関する事項は、できるだけ厳格に解すべきであり、使用者による恣意的な人事権の行使が容易に許容されてはならないのである。
(2) これを本件についてみると、原告が主張する期限の定めは無効であるといわねばならない。
<1> 原告の主張によれば、一年という期限を定めた理由は「昭和六〇年三月頃、新年度入所申込者につき、一歳児が増加したため、必要とする保母の数が前年に比べ増加した。しかし、正職員の保母を増加させると、右のとおり、保母の数は、毎年変動し得るものであるし、しかも、前年に比べ減員となることもあるため、被告を含む新規採用の三人については、一年以内の期間の定めのある雇用契約を締結した」というのであり、従って「原告と被告とが契約を締結するにあたって、原告が被告に対し説明し、かつ、被告が了承した内容というのは、雇用期間は、原則として一年間であり、但し、従前の保母が退職したり、保母の必要数が増加したりした場合に、いろいろな事情を考慮したうえ、引続きの雇用もあるというもの」であった。原告代表者である松浦園長も同旨の証言をしている。
<2> しかし、仮りに原告主張の事情があったとしても、右四、3に記載したとおり、契約締結時に原告が現員保障の適用を受けることができたことは明らかであったから、それだけでも前述の明白性・補充性の要件を具備しないことが明らかであり、期限の定めはそれ自体当初より無効であったと言うべきである。
右四、3において述べたとおり、京都市内の民間保育園では、職員の処遇改善・保育水準の向上・園の経営の近代化・安定化を目的として、いわゆるプール制が採られている。このプール制の中で、特に職員の安定した継続雇用を保障するための方策として、各職員を統一給与表に格付けして定期昇給の財源を保障するだけでなく、制度発足当初から「現員保障」の制度が採用されている。社会の変化の中で保育園はその数も増えその役割として求められるものも重くなってきており、それに応えるためには職員(とくに保母)の専門的力量を高めるとともに経験を深めることが必要であり、そのためには安定した継続雇用が不可欠で、そのような状態の中でこそ保育水準の向上もはかられるのであるが、右各制度はその要請に基づくものである。
そして、現員保障というのは、園の意思によらぬ他律的原因によって翌年度の常勤職員認定数が当該年の認定数を下回ることになる場合にも、その枠からはみ出た職員の分についても格付けされた給与相当額が園に支払われることを保障するという制度である。(運用細則第二条)。これにより、職員はクビになることを心配せず安心して働き続けることができるし、園も誰をクビにしようかと悩まずにすむ。
現員保障は、発足当時は京都市との協議で適用されていたが、その後昭和五八年からは誰かがやめない限りずっと保障するということになり、同六〇年からは一カ園二人まで当該年度限りという制限が付された。原告は右制限により現員保障がほとんど役にたたなくなったとかのように主張する様であるが、これは著しい誤解ないし曲解である。即ち、翌年度の認定は前年度の一〇月一日現在の実績を基準とするのであるから(運用細則第一条)、例えば四月には定員割れがあっても現員保障を受けていても五月、六月と経過する中で定員がうまり一〇月一日までにもとの定数を回復すれば、万一翌年度にまた定員割れしても現員保障が受けられる。そして、保育園の入所申請は年中受け付けているし、引越しや家の事情で急に保護者が働きに出るとか、産まれるのは年中いつでも産まれているのだから、途中で園に入って来る子供はかなりの数おり、四月初めに定員がうまらなくても七月から八月にはうまってくるのが実態である。また地域住民運動の期待や要望に応えて保育時間や受入年齢を見直したり、園での子供の生活ぶりを知らせたり、教育懇談会、子育ての悩み相談をするなど、いろいろな努力をしている園が多い。これらのことから年度途中に現員保障の対象外になれば、翌年度新たに現員保障が受けられるのである。さらに、保母の勤続年数は平均五~六年で結婚や出産のために退職する人が多く、年度途中や年度末に退職者がいればその時点で現員保障の対象外になって翌年度また現員保障の適用を受けられる。従って、六〇年改訂の制限が付されたからといって、現実にこの制限のために園が現員保障を受けられない人数を雇い続けなければならぬ事態に陥ることはない。制度の趣旨は一貫して、子供が減ったからと言ってそこで働く人がクビになることがないようにすることなのであり、「保母が安心して働けるように、そして子供達にできるだけ手がいき渡るような保母の数を確保するために何が必要かということで生み出された制度」なのである。
そして、被告は常勤職員が退職したために採用されたのであってもちろん常勤職員になる資格を有していたのであるから、万一、昭和六一年四月初めに定員割れがあったとしても(現実には定員の変動はなかったが)現員保障が受けられたし、さらに同年一〇月一日までに定員割れをうめれば、翌六二年度についても新たに現員保障を受けられたのである。このことは本件契約時に原告に十分わかっていたことであり、被告の契約に期限を付す必要など全くなかったことが明らかである。
(二) 百歩譲って、仮に契約当初は期限の定めが有効であったとしても、遅くとも昭和六一年一月には期限の定めは無効になったと言うべきである。
即ち、<1>この時点には従前よりいた三人の保母が退職することがはっきりし、原告は新規採用保母の面接をおこなったうえ、新たに四人を期限の定めなしに採用していること、<2>このことは保母の定員枠がオーバーして過重な経済負担を被る虞れなど全くないことを原告自身明確に認識していたことを端的にあらわしていること、<3>また原告は毎年プール制から非常勤費用を配分されていたにも拘らず非常勤職員を雇わず(そのため被告ら保母に過重な労働負担を強いたのである)、昭和六〇年度までで約金九〇〇万円以上を内部留保し、または他に流用していたという動かせない事実があること等の事情があり、一年の期限を設けなければならないやむをえない理由の存在しないことが明白となったからである。
この様な場合には、原則にたちかえって期限の定めは無効になると解すべきであり、その様に解しても使用者に何ら不利益はない。
3 雇止めの権利濫用
また、たとえ例外的に期限の定めが有効であったとしても、その定めを理由として更新拒絶をするに際しては、右四、2に述べた保育の意義やその権利性を前提として可能な限り厳格かつ慎重な配慮と検討がなされるべきであって、万一にも恣意的に濫用されてはならない。
(一) 憲法は、国民の基本的人権について、その濫用を一般的に禁止するとともにこれを公共の福祉のために用うべき責任を国民に負わせている(一二条)。使用者の人事権の行使、とりわけ労働者にその身分を失わせる行為は(解雇であると期限満了による更新拒絶であるとにかかわりなく)労働者とその家族の生活保障という社会的要請と対立するものであるから、その濫用はきびしくいましめられなければならない。
(二) これを本件についてみれば、仮りに期限の定めがありかつそれが有効であったとしても、原告のなした更新拒絶は権利の濫用であって許されない。
(1) 原告の主張によれば、本件契約に一年という期限を付した理由は、措置児数の減少によって保母の定員減が生じ園に過大な経済負担が生じることを防ぐことにあるという。
しかし、既に繰り返し述べているところであるが、
<1> 原告は被告をプール制に本来期限付職員は登録できないはずの常勤職員として登録しており、万一保母の定員減が生じたとしても(現実には全く減少していないが)現員保障が受けられたのであり、しかも原告はこのことを十分認識していたこと、
<2> 原告は遅くとも昭和六一年一月には次年度三人の常勤保母の退職を確認してそれに対処するべく同月末頃わざわざ新規の採用面接をおこない四人を期限の定めなしに採用していること、従ってまた保母の定数減の虞れなど全くないことが既にこの段階ではつきりしていたこと、
<3> 原告は、昭和五八年度から同六〇年度だけに限ってみても、プール制から配分された非常勤枠の費用が各数百万円以上あったにも拘らず非常勤保母を採用せず(従って、常勤保母のみですべての保育をおこなっていたため、被告ら保母達に過重な労働負担がかけられ、労働条件は極めて劣悪であった)、少なくみても約九〇〇万円を内部に留保し、あるいは他に費消していたこと、
<4> 被告とほぼ同時期に同じ条件で採用した他の二人の保母については雇用を継続しながら、ひとり被告だけを排除していること、
<5> 同年から非常勤費用を使ってアルバイト保母を二名採用していること、
等の事実からみて、原告が自ら主張している「保母の定数減」「園の過大な財政負担」など微塵も生じえなかったことは明白であり、被告に対し本件更新拒絶をすべき必要性はどこにも見出しえない。従ってまた、被告の雇用を継続したとしても、原告は一切何らの損害・不利益も被ることはなかったのである。これに対し被告は、一年間懸命に働いた職場を理不尽に追われ唯一の収入源を断たれたうえ、愛する子供達にも会えず経済的にも精神的にも著しく困難な状況にたたされている。解雇というのは、全人格的なダメージを労働者に与える苛酷なものであることを、決して見逃してはならない。
なお、昭和六一年二月二八日には、保育一課の担当係長が園に赴き、保育の趣旨やプール制の仕組からみても本件解雇は不当であることを説明し、継続雇用をするようにという指導をしている。ところが原告は、この指導も無視している。
(2) 原告は被告が保母にふさわしくないかのように言うが、事実は一年間被告の身近で一緒に仕事をしていた同僚保母が最も良く知っている。例えば、被告と共にもも組を担任していた佐藤保母が「優しくてよく気が付く、良い保母さんです」と言っていたことは、大柿主任保母も認めている。また、被告が原告から解雇と言われたことを知った同僚たちは、昭和六一年二月二〇日、全員で園長に対し被告をやめさせないよう申入れをし、その際同僚たちは、被告と石井・山口両保母の三人が同じ条件で入っているのに一人被告だけを首にするのはおかしいこと、被告は保母として適任であること、保育日誌を提出しなかったのは被告だけではないこと等を一生懸命に言ってくれたのである。
また、同六一年三月二〇日には、母の会(園の保護者会)の役員十数名が園長に対し、実際に子供を預けていると安心して預けられるかどうかが一番気になるが、被告に預けていて不安ということは全くなく、安心して預けられる保母なので辞めさせないで欲しいという申入れをした。このような申入れをするのは、母の会始まって以来のことであった。
これらのことは、被告が同僚からも保護者からも大きな信頼を寄せられていたことを端的に示している。
(3) 原告は、人事については使用者が完全な裁量権を有すると主張する様である。
しかし、労使双方が対等な立場で労働契約の締結をすることは希有であることも前提にして、一般に使用者の人事権といえども公共の福祉による制約を受け、ことに保育園の保母については子供の保育を受ける権利の実現化という面からより一層の公共性が要請されるのであって、使用者の裁量権には自ずと限界がある。また、全く新たに採用するかどうかという問題と一旦採用した労働者の継続雇用を拒否するか否かという問題とを同一に論ずることは誤りであって、後者の場合労働者側には既にそこで働き続けられるという正当な期待が生じているのであるから、これを保護するためにも裁量の幅は極めて限定されるべきである。しかるところ、右(1)(2)摘示の事実からみて、本件解雇がこの裁量の幅を大きく逸脱した違法なものであることは明白である。
それにも拘らず原告が被告の契約更新を拒否したのは、おそらく、被告の代わりに、もっと劣悪な労働条件に耐え、上司に従い、組合活動もしない従順な人を採りたいという動機に出たものであろうが、この様な恣意的な人事権が何ら保護すべき正当な利益ではないことは論をまたぬところである。
4 不当労働行為
原告が被告に対しておこなった本件解雇ないし更新拒絶は、不当労働行為であるから、違法無効である。
(一) 京都私立保育所労働組合の意義と活動
(1) 京都私立保育所労働組合(「組合」)は、一九六一年一一月に結成された。当時まだ保育所の数も少なく、そこで働く保母ら職員の労働条件は劣悪で、子供達の処遇も充分なものとは言えなかったのであるが、子供達が本当に豊かに育っていくためには保育所で働く者の労働条件もきちんと確立されなければならないことが明らかとなり、良い保育を実現することとともに自分達の労働条件をきちんと確立するということを目的として結成されたものである。
(2) 右の様な目的で結成された組合は、それぞれの職場の中でその労働条件や保育内容を充実させるために勉強したり、みんなで話し合ったりするだけでなく、保育所の運命を大きく左右している制度そのものを充実改善させることにも大きな力をそそぎ京都市や国に対する働きかけを全国的規模で行ってきた。中でも民間保育園の職員処遇改善のための制度を確立させよ、という運動をし、これをプール制に結実させたこと、頸肩腕障害や腰病などの保母の職業病に対し、病気を出させない職場づくりを目指して全国の仲間と共に国に対する大きな運動をつくり、休憩保母の配置をかちとって、保育所でも休憩とか休暇がとりうる体制をつくるための大きな運動をしてきたこと等は、特筆すべきことである。
以上のように組合は、京都市の民間保育園における保育水準の向上や、それを支える職員の労働条件の改善に、大きな役割を果たしてきたのである。
(二) 被告の組合活動と原告の嫌悪
(1) 被告の組合活動
<1> 被告は、昭和六〇年九月に、右組合に加入している。これは「働いてくる中で、労働条件が随分厳しくて、労働時間もはっきりしていないし、休憩もとれないし、生理休暇とかもとれなし、大変おかしいと思うところが多くあり……保育内容の面でも、前近代的というか、子供が何か列からはみ出すとか、そういう何か目立つ子がいたときに、例えば、真っ暗なお部屋に閉じ込めるとか、誰か一人を前に連れ出して来てみせしめにする保育とか、随分疑問に思うことが多く、子供がいつも保母の顔色をうかがって、のびのびしていないのが気になって」いたので、「いろんなことを勉強しながら保育園を変えていくことができたらいいと思った」からである。
<2> そして、同年秋頃から年末にかけて、組合が取り組んでいる福祉予算の充実を求める国会請願署名の運動に組合員として参加し、署名の趣旨や目的をきちんと説明したうえで「職場の中で組合の青い鳥分会の判子の押してある署名用紙を使っていましたので、私も組合に入っているんですけれども、今こういう運動をしていますということでお話しながら署名をお願い」していた。また、組合の副委員長を呼んでおこなわれた保育制度の仕組や保育内容の勉強会にも自ら参加しただけでなく、職場内で「学習会に行かない?」と他の保母も誘うなど、積極的であった。
これらの活動を被告は公然と行っていたのであり、原告も右活動を当然知っていたことは疑いない。
(2) 原告は、被告の右活動を嫌悪していた。
<1> 壬生寺保育園においては、昭和五〇年頃に一度組合の分会が結成されたことがある。ところが原告は様々な手段を弄して組合つぶしに奔走し、組合は一旦壊滅してしまった。佐藤保母は当時の組合メンバーの一人であったが、これを知った原告ことに直接保母と接する大柿主任保母は、ことごとく佐藤保母につらく冷たくあたっていた。
<2> かように前歴のある原告は、被告の活動によって再び組合活動が浸透し公然化することを極度に嫌ったものである。当初の契約内容を歪曲してまで期間満了を理由に被告を解雇した理由もここにある。園長の「これは一人の考えじゃなくてバックに何かついているんだろう」という言葉は本音であろう。
また公然化した組合との第一回団交の後、大柿主任保母は被告に「組合に入っているような人は恐いし、一緒に仕事をしたくない」と言い、次の日から「まず挨拶をしてくださらないとか、いろんなことで私と話をしないようにするとか、食事の時に一諸になったときでも、ソースを回してくださらないとか、とにかく私に対して他の先生たちと違う扱いというか、他の保母さんたちが見ててもおかしいくらいに、冷たくできることは何でも冷たくするというか、そういう感じ」で、とにかくつらくあたった。組合を公然化するか、それともただ組合に入っているだけで何も言わずに黙っているということとは全然違うのでありこれまで優位に立っていると考えていた使用者が、組合の公然化によりその優位が絶対的なものでないことを知り、敵対心をもやし怒ったということである。
(三) 原告は、被告と同時期に他に二人の保母を同様の契約で採用している。ところが、被告以外の二人に対する雇用は継続させているのに一人被告だけを解雇している。これは、被告が積極的に組合活動を行ってきたことを嫌悪し、排除しようと目論んだからに他ならず、憲法上保障された組合の団結権をふみにじる違法不当なものであることは明白である。
六 本訴請求の抗弁に対する認否
本訴請求の抗弁の事実中、昭和六一年四月には本件保育園において保母の定員減は生じなかったこと、原告は昭和六一年四月に新たに四名の保母を採用していること、原告は被告と同期に採用した三名の保母のうち被告以外の他の二名については昭和六一年四月以降も雇用を継続していること、被告が京都私立保育所労働組合に加入していることは、いずれも認め、原告が被告の組合活動を排除するために継続勤務を拒絶したことは否認する。
七 本訴請求の抗弁(不当労働行為)に対する原告の主張
1 被告は、要するに、原告が被告を解雇した理由は、被告の組合活動を排除しようとしたためであり、右解雇は、不当労働行為として違法無効なものであると主張する。しかし、原告は、被告が、労働組合に加入していたこと及び組合活動をしていたことを初めて知ったのは、被告から労働組合としての団体交渉の申し入れを受けたとき、つまり、原告が被告を雇止めないし解雇の通告をしたよりも後であり、しかも、通知をした理由は、被告がいうような被告の組合活動を排除しようとしたためではなかったものであり、被告の主張は、以下の検討の結果から失当というべきである。
2 というのは、本件全証拠を斟酌すると、この争点との関係で次の事実が整理できるからである。
即ち、
松浦は、被告に対し、昭和六一年一月二七日、同年三月二四日をもって本件雇用契約を終了させる旨通知した。しかし、その後、被告は、松浦に退職しないと言ってきた。そのうえ松浦は、被告から、昭和六一年二月二七日昼、今晩ちょっと会ってほしい人があるという形で申し込まれ、応じたところ、夜、組合との団体交渉となった。出席者は、本件保育園側では、松浦、主任保母大柿、副主任松岡晴子、組合側では、被告、委員長中村東輝子、副委員長神戸、中京支部長岡本某、同書記北垣某であった。松浦は、団体交渉の当初、昼に約束したとき、被告が労働組合としての団体交渉の申し入れということを言わずに、今晩ちょっと会ってほしい人があると言って申し込んだことを随分怒っていた。大柿は、団体交渉が終わってから、組合に入っているような人は恐いし、一諸に仕事がしたくない旨言い、次の日から挨拶もしてもらえないぐらい、態度がきつくなって、被告は、いつもきつくあたられた。松浦は、被告が労働組合に加入していることを知ったのは、この団体交渉のときが初めてである。大柿も同様である。また、松浦は、そのときまで被告の労働組合加入について知る由もなかったので、組合加入と期間満了による退職の通知とは何の関係もない
という事実である。
3 ところで、被告は、これに対し、「被告が昭和六〇年秋以降、労働組合の一員として本件保育園でも署名集めをしたので、松浦は、被告が労働組合に加入していたことを知っていたかもしれない。」とか、被告は、松浦が、被告に対して、昭和六一年二月ころ、「バックに何かついているにちがいないという言い方をしたとき、加入を知っていると思った。」旨言っているが、次の点から、右反論には合理性を欠き、採ることができない。
即ち、
<1> 被告は、労働組合として松浦、大柿らと団体交渉をもってから、大柿の態度がきつくなったといい、また、右組合は、地労委の斡旋申請書の「組合主張の要点」欄に、「組合を公然化してから、特に主任保母が強硬に解雇を主張している」と記載するが、仮に、被告主張のようだと、それまでからも大柿が厳しい態度で一貫しているはずであり、団体交渉で組合を公然化してから、という話にはならず、つじつまがあわない。
<2> 松浦が以前から被告の組合加入を知っていたとの被告主張には、被告の法廷における「かもしれません」とか「思いました」という表現の供述しか存せず根拠がない。しかも、被告の供述自体、ささいなことを大きく表現したり、事実を思い込んでしまって表現する傾向が見受けられる。例えば、<イ>被告が昭和六一年四月以降、朝に本件保育園に行ったときの本件保育園側の人について、被告は、当初、「ちょっとやくざ風の男の人」と表現したが、真実は、勿論やくざではなく、被告の独自の感じ方で、「見た感じが随分そういうふうに見え」た人にすぎなかったこと、<ロ>地労委の斡旋のとき、長時間またされたことについて、被告は、委員が「随分長時間かけて、園長先生を説得するのにあたっ」たと表現したが、真実は、これも被告の独自の受け止め方で、「ほんとに長い時間、数時間たちましたので、その時間、説得にあたって下さっているんだと思ってい」たにすぎなかったこと(この点、原告代理人は、斡旋に関与したが、説得など一切受けなかったし、また、委員と長時間面接したことがなく、推測すると、委員らが協議するのに長時間かかったものと思う。)、<ハ>被告は、当初、母の会が申し入れをしたが、「それまで、母の会が何かまとまって意見を持って園長先生に言いに行くとか、そういうことは全くなかったことで、その時が、母の会始まって以来のことだと聞いています。」と表現したが、真実は、母の会の理事の有志が一回きり口頭で申し入れをしたにすぎなかったことなどからである。
4 以上の検討から、原告が被告に対して雇用契約の終了を通告したのは、決して、被告がいうような被告の組合活動を排除しようとしたためでないことが明らかである。
八 本訴請求の予備的請求原因
1 正当事由による雇止め及び解雇
原告は、被告には、<1>保育日誌を長期間提出しなかったこと、<2>ピアノの技量が劣るうえ、その後の向上もなかったこと、<3>他の職員に迷惑を及ぼす欠勤が多かったことが認められ、それが被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当すると主張する。これに対して、被告は、右に該当するような行為は認められないと反論するが、被告の主張は、以下の検討の結果から失当であるというべきである。
(一) 保育日誌を長期間提出しなかったこと
(1) 原告は、被告には保育日誌を長期間提出しなかったことが認められ、そのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当すると主張するが、このことは、以下の理由から明らかである。
(2) というのは、本件全証拠を斟酌すると、次の事実が整理できるからである。
即ち、
本件保育園では、各保母に、毎日保育日誌を書き、週単位で主任の大柿に提出し、閲覧してもらうことが義務づけられている。この保育日誌というのは、一日分一頁でその日の保育の計画、記録等を記載することになっている。保育日誌の目的は、自らが担任するクラスの保育結果の報告と自分の反省材料とにある。この保育日誌は、保育第一課の監査の対象の一つとなっており、京都市は、出張監査のとき、一冊一冊目を通す。ところで、被告は、昭和六〇年度において、同年四月五日から勤務した。被告は、保育日誌を同年四月六日(土曜日)の分からつけ始め、同年七月ころまで毎日つけたが、その後、滞り、同年七月一五日からの分はずっと提出しなかった。大柿は、被告に対し、職員会議で、一月に一回くらい一般論として、婉曲に保育日誌の提出を催促した。被告は、大柿から、被告が同年一二月一一日と一二日休んだ後、はっきりと保育日誌の提出について催促を受けた。その後、被告は、同年一二月下旬、職員会議において一年の反省を皆に話した機会に、保育日誌を正月休みのときにきちんと書いて、一月に提出できるよう頑張りたいと宣言した。しかし、被告は、保育日誌を提出せず、昭和六一年二月二四日(月曜日)になって、続きをやっと提出した。その結果、被告は、昭和六一年二月一〇日までの分は飛び飛びでわずかを、また、右の日以降の分は毎日の分を提出した。
という事実である。
(3) ところで、被告は、これに対し、要するに、保育日誌を提出しなかったのは、やむを得ない事情によるもので、提出しなかったことは、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当しないと反論するようであるが、次の点から、右反論には合理性を欠き、採ることができないというべきである。
即ち、
<1> 被告は、保育日誌について、「書いて出すことになっているので、書いて出さなければいけないもんなんだ」と思っており、そうだから、「大柿主任に出して、何か見ましたというちょっとした印をもらうんですが、その後は特に何も言われずに返されて、また、次の分を綴じていくというふうにしていた」ようであるが、被告の保育日誌に対する右の理解・姿勢は、誤っており、そのことが長期間の不提出の一因をなしているというべきである。前述のとおり、保育日誌は、報告と自分の反省材料を兼ねる重要なものであり、仮に、主任から、何も言われずに返されたとしても、主任は、各保育について、自分が直接見えない分を補う材料として用いており、被告には、その認識が欠けていたわけである。
<2> 被告は、本件保育園から、保育日誌の書き方を説明、指導してもらうことがなかったため、書けなかったと反論するかもしれないが、それは理由にならない。というのは、被告は、勤め始めた昭和六〇年四月六日から同年七月中旬までの分について立派につけてきているし、しかも、職業として保母になったのであるから、仮に、わからないことがあった場合、保育にとって重要なものの一つである保育日誌について説明等を待っていないで、自らが求めていく姿勢が必要だからである。
<3> 被告が保育日誌を書かなくなったのは、本件保育園の労働条件が劣悪だったので、書く時間がとれなかったためという反論があるかもしれないが、労働条件については、以下のとおり、本件保育園の場合、なるほど、他の職業分野と比較した場合にあらためるべきことがあることを否定できないものの、保育園界の基準では、平均的であること、また、他の保母については、誰一人として長期不提出という者がいなかったことから、労働条件自体は、書かなかった理由にはならない。本件保育園について労働条件が劣悪でないというのは、次のとおりである。
<イ> 被告は、一歳児を担当することは、特にハードであったと主張するようであるが、他の担当者と比較し、そのような差はないというべきであり、非難は当たらない。というのは、被告が担当した一歳児クラスの場合、プール制の算定方法に準拠して、他の高い年齢の幼児クラスより、一定数の幼児に対する保母の数を多くするなどして、保母間の仕事のハードさについて、均衡をとっていること、複数担任の場合は新任についてはベテランと組み合わせていることから、特にハードであったわけではないからである。なお、被告は、一歳児クラスの仕事内容について、「おむつを替えるコーナーを作った」とか、「一つ一つ日常の小さなことでも、考えながら保育をしていかねばなりませんでした。」とか、「目が離せない」とか、「一旦保育室に入ってしまったらずっと緊張の連続で、ぴーんと張りつめているような感じで、トイレに行くのもはばかれました」とか、あたかも大変だったという表現をするが、右のことは、どの年齢を担当する保母にもあてはまる基本である。
<ロ> 被告は、本件保育園では、休憩もとれず、食事にしても、調理室で大急ぎで立って食べなければならないような劣悪な条件であると主張するようであるが、休憩時間について、本件保育園では、労働基準法の要求や就業規則のとおりの一時間はとれていなかったものの、交替とかで可能であったこと、調理室の隣には更衣室を兼ねる畳敷の休憩室があったこと、保育園連盟の要職にあった細川信元が園長をしている徳円寺保育園でも、また、同じく後藤典生が園長をしている永興小金塚保育園でも、保母の休憩は充分とれていないと認めざるを得ないというのが保育園界の状況であることから、非難は当たらない。
<ハ> 被告は、本件保育園では、生理休暇もとれないような劣悪な条件であると主張するようであるが、そもそも申請した例がないので、非難は当たらない。
<ニ> 被告は、本件保育園では、木曜日の夕方からの職員会議に対して、残業手当もつかないような劣悪な条件であるという主張があるかもしれないが残業手当を支給すべきだったかどうかについて、労働基準法の精神に照らし問題がなくはないが、本来就業すべき時間である土曜日の午後を早く終業することにした結果のことであり、しかも、このことは全職員の意向で決めたことであるから、本件保育園には全く悪意がなく、非難は当たらない。
<ホ> 被告は、本件保育園では、フリーの保母がいなかったとか、保母が少なかったような劣悪な条件であるという主張がありそうであるが、本件保育園では、国の最低基準は満たしているため、非難は当たらない。
<ヘ> 被告は、要するに、忙しくて保育日誌が書けなかったというようであるが、その気になれば充分書けたはずで、非難は当たらない。というのは、夏休み中、被告が担当した桃組の通園者はふだんより少なく、特に、昭和六〇年八月一七日はゼロであったこと、被告は、同年九月から労働組合に加入し、組合活動に参加していたことから考えるに、時間、英気等充分あったことが推測でき、その気になれば、保育日誌が充分書けたためである。
<4> 被告は、各クラスの任が複担数いるから、片方の保母が保育日誌を書かなくても支障がなく、現に、被告が書かなくても他方の保母佐藤美智子(以下「佐藤」ともいう。)がきちんと書いているから、問題がないという主張があるかもしれないが、失当である。というのは保母がそれぞれの保母について必要だということは、保母が複数いても保育に対する見方が違うし、また、園長らがその保母の保育に対する姿勢、見方を見る資料とするには個別のものが必要であるためである。現に、昭和六〇年四月八日の保育日誌の内容について、被告のものと佐藤のものとで内容が異なっている。
という理由からである。
(4) 以上の検討から、被告が保育日誌を長期間提出しなかったことは、そのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当理由に充分該当することが明らかである。
(二) ピアノの技量が劣るうえ、その後の向上もなかったこと
(1) 原告は、被告には、ピアノの技量が劣るうえ、その後向上もなかったことが認められ、そのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当すると主張するが、このことは、以下の理由から明らかである。
(2) というのは、本件全証拠を斟酌すると、次の事実が整理できるからである。
即ち、
一般的に保育園の保母は、子供達が歌を歌える程度にピアノを弾けることが必要である。本件保育園は、本堂では毎週月曜日の朝一回、園舎では毎日、会集を行い、そのとき、保母がピアノないしエレクトーンを弾く必要がある。被告は、月曜日の朝の会集でピアノが弾けなかったので、他のものに代わってもらったことが二回ある。このとき、被告は、前もって楽譜を渡されていたにもかかわらず、弾けなかった。被告には、その後の精神努力が認められなかった。
という事実である。
(3) ところで、被告は、これに対し、要するに、被告がピアノの技量に劣っていた事実はなく、従って、このことは、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当しないと反論するようであるが、次の点から右反論には合理性を欠き、採ることができないというべきである。
即ち、
<1> 被告は、ピアノを代わってもらったのは、二〇回の機会のうち、わずか二回にすぎないという口ぶりであるが、誤りである。というのは、多少のまずさでは、ピアノを代わるなどということはないうえ、幼児といっても物事を充分判断できるわけで、保母が子らの前で、ピアノを弾けずに二回も代わってもらったということ自体、幼児への教育上問題なのである。
<2> 被告は、ピアノを弾けなかったことで、保育に支障が出たことがないと反論するが誤りである。というのは、右の<1>のとおり、問題であるうえ、被告に、その認識がないこと自体も問題だからである。
<3> 被告は、練習時間がなかったと言い訳するが誤っている。というのは、ピアノの技量を向上させるには、自分が努力して練習する外ないからである。
という理由からである。
(4) 以上の検討から、被告がピアノの技量に劣るうえ、その後も向上しなかったことが認められたうえ、そのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当することが明らかである。
(三) 他の職員に迷惑を及ぼす欠勤が多かったこと
(1) 原告は、被告には他の職員に迷惑を及ぼす欠勤が多かったことが認められ、そのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当すると主張するが、このことは、以下の理由から明らかである。
(2) というのは、本件全証拠を斟酌すると、次の事実が整理できるからである。
即ち、
本件保育園では、担当の保母が欠勤すると、そこに補充する保母の余裕がない。そのため、ある保母が休むと、どこか他の担任を持っている人が自分のクラスの外に、手伝いにいく態勢がとられている。このようなぎりぎりの配属は、本件保育園が特別に経費を節減するためにやっていることではなく、保育園というのが、そのようなもの(経営が厳しい)だからである。ところで、被告は昭和六〇年度において、遅刻、早退を除いて、四月一七日から二日間発熱を理由に、九月四日から二日間弟の交通事故を理由に、九月二六日から二日間頭痛を理由に、九月三〇日から三日間血便を理由に、一二月九日友人の結婚式出席を理由に、一二月一一日から二日間発熱を理由に、それぞれ欠勤した。被告は、「しんどくなって休んだようなときでしたら、その日の朝に電話をして休ませて頂きますということを言った。」被告は、一二月九日欠勤したうえ、一日置いて、一二月一一日から二日もまた欠勤したとき、本件保育園の主任保母大柿絢子から保母失格だといわれた。そこで、被告は、調理室へ行って泣いていたら、松浦がそこへ来、事情を聞かれた後、松浦から叱られても仕方がないといわれ、また叱られた。被告は、昭和六一年三月になって、欠勤簿に自分の欠勤をまとめて記入したが、それは、夏期休暇のときには記入したが、その外については一切書いていなかったためである。
という事実である。
(3) ところで、被告は、これに対し、要するに、被告が他の職員に迷惑を及ぼすような欠勤が多かった事実はなく、従って、このことは、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当しないと反論するようであるが、次の点から右反論には合理性を欠き、採ることができないというべきである。
即ち、
<1> 被告は、例えば、昭和六〇年九月の欠勤について、夏の間、「桃組の場合は、ほとんどお休みする子がなく」大変だったことを挙げ、欠勤はやむを得なかったものという口ぶりであるが、誤りである。というのは、夏休みに休む子がなくて大変だったという事実はないためである。
<2> 被告には、被告の供述から、次のとおり、職業として保母に就いているという自覚に欠ける傾向が見受けられる。というのは、<イ>被告は、欠勤をその日の朝に通知したため、大柿におこられたというが、主任である大柿の立場からすると、保母が一人休むとその穴埋めをしなければならない勤務態勢において、その日の朝に急に欠勤の通知を受けたなら、おこるのも当然である、<ロ>被告は、一二月九日に欠勤した後、一一日から二日間欠勤したことについて、大柿から保母失格といわれたと言うが、大柿の言わんとするところは、前<イ>同様、当然である、<ハ>被告は、右<ロ>の欠勤について大柿に叱られて調理室で泣いていたところ、松浦から、叱られても仕方がないといわれたというが、これも前<イ>と同様、当然である、<ニ>被告は、「足の骨を折って長く休まれた先生も随分(大柿に)言われたみたい」と言うが、これも前<イ>と同様、当然である、ということからである。
という理由からである。
(4) 以上の検討から、被告には、他の職員に迷惑を及ぼす欠勤が多かったことが認められ、そのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当することが明らかである。
(四) 結論
以上、被告には、保育日誌を長期間提出しなかったことなどが認められ、それぞれそのこと自体、被告を雇止めする特別の事情ないし解雇する正当事由に該当することが明らかになったが、それら三つのことを総合すれば、より一層、該当することが明白である。
そうだとすると原告は、被告に対し、昭和六一年一月二七日、同年三月二四日をもって解雇する旨予告したのであるから、本件雇用契約が同年三月二四日終了したことが明らかである。
よって、原告は原告と被告との間に雇用契約が存在しないことの確認を求める。
2 合意退職
(一) 原告は、原告が、被告に対し、昭和六一年一月二七日、同年三月二四日をもって本件雇用契約を終了させる旨を通告したがその後、被告が就職の面接に行ったことをもって、原告と被告とは、遅くとも同年二月四日までに、被告が同年三月二四日をもって退職することを合意した、ないし、被告は、遅くとも同年二月四日までに、原告のその旨の通告を了承したと主張する。この原告の主張は、以下の検討の結果から認められるというべきである。
(二) というのは、全証拠を斟酌すると、この争点との関係で次の事実が整理できるからである。
即ち、
被告は、松浦から、昭和六一年一月二七日、同年三月二四日をもって本件雇用契約を終了させる旨通告を受けた。ところで、被告は、昭和六〇年九月、組合に加入した。被告は、その後、組合活動にも参加していた。被告は、松浦から通告を受けた昭和六一年一月二七日、組合関係者と終了を通告されたことについて相談した外、その後も、その者らと電話もしくは直接に打ち合わせたことがある。被告が話し合った相手に、家族の外、組合副委員長の神戸や中京支部の役員らがいる。特に組合関係者は、被告に対し、不当だというアドバイスをした。被告は、同年二月一日及び同年二月四日、早退して就職の面接に行った。受けに行った先は、京都第一法律事務所と建築関係勤務者の健康保険を取り扱う事務所であった。松浦は、これで被告が退職を了解したものと理解した。被告は、松浦に対し、同年二月半ばころ、弁護士と相談の上、退職しないでもよいと言われたので、退職しないと言ってきた。
という事実である。
(三) ところで、被告は、これを争うであろうが、右の事実の整理には、次の点から充分合理性が認められる。
<1> 被告は、面接を受けに行った理由として、被告がいくら頼んでも松浦が雇用契約を終了させるという姿勢を変えようとしないから、四月からのことが心配で、だれにも相談せずに受けに行ったといい、あたかも、やむを得ず行ったかのような口ぶりであるが、受けに行ったことは、あくまで被告の自主的・自発的なものである。というのは、被告は、それまで、家族や組合関係者と相談し、アドバイスも受け、時には、組合関係者から、「今日はどうだったという感じで、私がめげてないか心配して電話を掛けて」もらったりしていたうえ、被告自身、昭和六一年一月時点、「定員割れというか、保母の数が減るということはそれ以上には考えられない、保母を誰か辞めさせなくてはいけないという状況は、もう絶対起こらないということがわかっていたんです。」という心理状況であったことからである。
<2> 被告が就職の面接に行ったとしても、結局断わったのだから、退職を合意したことには該当しないという反論があるかもしれない。しかし、被告の方から断わったのかどうかの真実性は別として、組合関係者から激励を受けている中、わざわざ早退して二回も、しかも、二回目は一回目の三日後と間を置いて、就職の面接に行ったことは、充分、退職を合意したことの現れとみることができる。というのは、面接に行くことによって退職の合意がなされれば、その後の面接の結果は、既になされた合意に何ら影響を及ぼすものでないからである。
という理由からである。
(四) 以上の検討の結果から、原告と被告とは、遅くとも昭和六一年二月四日までに、被告が同年三月二四日をもって退職することを合意した、ないし、被告は、遅くとも同年二月四日までに、原告のその旨の通告を了承したことが明らかである。
よって、原告は原告と被告との間に雇用契約が存在しないことの確認を求める。
九 本訴請求の予備的請求原因に対する被告の主張
1 勤務の実態
(一) 被告の勤務内容について
被告が壬生寺保育園で保母として従事した仕事の内容は他の常勤保母と全く同一であった。
被告は昭和六〇年三月二五日、保母として就労をはじめ、同年四月の新年度からは、もも組担任として零・一歳児の保育にあたった。零・一歳児保育は壬生寺保育園がこの年、はじめて開設したクラスであり、当初は一〇人、その後増えて一三人の手のかかる乳幼児を被告と佐藤保母の二人が担当することになった。その一日の保育業務の流れは、およそ乙一八号証の通りである。
もも組担任の二人の保母には、これら日常の保育業務について仕事上の分担はなく、むしろ、二人では業務が過重な実態にあったから(同園では翌年もも組担任を三人に増やしている)二人の保母はどちらも同じように忙しく保育業務に従事し、役割の上でどちらが中心ということはなかった。むしろ、佐藤保母が妊娠してからは、兎小屋の掃除、布団の上げ下ろし、子供のお尻を洗うことなど、重労働だと思われることはなるべく被告がするようにしていた。また、クラス担任以外に、週一回の職員会議、週一回の兎小屋の掃除、縦割り保育の当番、家庭訪問、土曜保育の当番、朝の集まりの当番などの仕事があったが、被告は他の常勤保母と全く同じように、これらも担当していた。
従って、被告は他の常勤保母と、その仕事の内容によって区別されていたわけではなく、非常勤保母だということで常勤保母の補助的業務にとどまっていたことは一切ない。
この点については、大柿主任保母も、当時、常勤保母と非常勤保母とに何ら差はなく被告の仕事や勤務条件と他の保母のそれらとに変わりがなかったことを明確に認めているし、職員会議にも被告を含む全員が参加していた旨証言している。後述する通り、被告の勤務条件に関しては、昭和六一年二月二九日以降「契約書通り」の取扱いに変更され、職員会議にも出席できなくなったが、その他の保母としての日常業務は就労を拒否されるまで、従前同様、他の保母と何ら異るところはなかった。本件の問題が生じてから、ことさらに常勤と非常勤を区別しようとしているのである。尚、後藤典生証人は自園における常勤と非常勤の違いについて述べているが、壬生寺保育園の実態とは全く違っており、参考にはならない。
(二) 被告の勤務条件について
(1) 勤務時間
乙第二号証の雇用契約書によれば、被告の勤務時間は午前八時三〇分から午後五時三〇分、実働八時間と定められていた。しかし、現実の勤務時間は、右雇用契約書の定めによらず、他の常勤保母と全く同様であった。
即ち、通常は午前九時から午後五時一五分まで、但し、早出は八時出勤、中出は八時半出勤、居残りは六時まで勤務であり、当時在職した一一人の保母全員がこれらの勤務を当番で分担していた。被告も同じようにその当番のサイクルに組み込まれており、非常勤保母であるとして異なる取扱いは一切受けていなかった。この点については大柿主任保母も認めている。
また、もも組については、零・一歳児を受け入れる入口が別になっていたため、二人の担任保母のどちらかが一日交替で八時半に出勤していた。大柿主任保母は、もも組について、八時半にどちらか一人の保母が出勤する必要がなかったかのように証言しているが、同保母のもも組についての証言はきわめてあいまいであり、もも組の実情をほとんど把握していなかったことが明らかである。早出保母がもも組の乳幼児と他のクラスの幼児とを同時に受け入れることは困難である。現に大柿主任は自分の体験として早出保母だけで対応するのは、「大変だとは思いました」と証言している。
なお、壬生寺保育園では普通、九時から五時一五分までの勤務時間であっても、それより一五分は早く出勤し、五時半過ぎる頃でなければ帰れないのが実態であったが、早出、中出、居残り、職員会議等の残業手当は支給されていなかった。
また、昭和六一年二月二八日、被告は大柿主任保母から「明日からは契約書通り八時三〇分から五時三〇分まで勤務してもらいます。今日も残業があるけれども、それもせずに帰ってもらっていいです」と言い渡され、翌日以降は前記早出等当番からもはずされた。逆に言えばそれまでは契約書通りではなく、他の保母と全く同じであったことが明らかである。
(2) 休憩時間
また、雇用契約書によれば、実働八時間であるから、休憩時間は一時間保障されなければならない。
しかし、壬生寺保育園の場合、通常でも休憩は二日に一回しかとれず、もも組については全くとれなかった。大柿主任保母は、休憩が二日に一回しかとれなかったのは労働条件がよくなかったからであるというが、もも組について休憩が全くとれなかったことについては否定しようとする。しかし、大柿主任保母の証言によっても、もも組は零・一歳児であって、常時一人は保母が付添っていなければならないこと、他方三歳児以上は午睡をせず、庭遊びをするのでその担当保母が必要であり、もも組担任保母も当番に組み込まれていたのであるから、二人担任の誰がどちらの業務についているかはともかくとして、二人とも休憩をとれる状態になかったことは明らかである。なお、午睡時間に休憩をとれるではないかと考えるのは、保育業務を全く知らない者のいうことである。大柿主任保母も証言している通り、午睡時間といっても、乳幼児が一斉に就寝してしまうわけではなく、保母はその場を離れることはできない。休憩時間とは、労働者がその労働から完全に解放されて自由に利用できる時間でなければならず、午睡時間にたとえ多少休息することができたとしても、それは休憩時間の保障には該当しない。また、休憩時間に保育日誌を書かねばならないとすれば、それも本来の休憩時間の利用とはいえない。
このように、休憩時間が労基法通り保障されていず、休憩室も不十分なため、落ち着いて昼食をとることができなかった実態は常勤、非常勤を問わず同様であったし、「契約書通り」と言渡された昭和六一年二月二九日以降もかわらなかった。
(3) 賃金
被告の賃金は昭和六〇年九月分まで雇用契約書通り日給で支払われていた。しかし、同年八月三〇日に行われた京都市民生局保育一課の監査によって、被告がプール制の常勤保母として登録されているにもかかわらず、非常勤の日給制であることの不都合を指摘され、常勤保母としての格付をするよう是正勧告がなされた(まず口頭で勧告された。)。その結果、被告の賃金は昭和六〇年一〇月分以降、月給制に改められ、さらに業務手当や調整手当も支給されるようになって、他の常勤保母と何ら賃金面でも異なる取扱いはされていない。この経緯については当事者間に争いはない。
(4) 休暇
壬生寺保育園では、当時、担任保母が欠勤すると補充する保母の余裕がない、というぎりぎりの配属であったため、労基法に定める生理休暇や有給休暇がほとんどとれない状態にあった。生理休暇がほとんどとれなかったことは大柿主任保母のみならず松浦園長も認めている。有給休暇は夏休みにまとめてとるのが通常であり、他の日に休むことは困難であった。被告の場合、勤務一年目とあって、労基法上の有給休暇がなく、生理休暇は他の保母同様とることができなかった。夏休みにも、当時はまだ日給制のため、休めば賃金カットされること、大柿主任から四日位にするよういわれ、むしろ他の常勤保母が休んでも被告は出勤する日が多かった。
2 解雇事由の不存在
(一) 壬生寺保育園において、昭和六一年度の保母の必要数が減少したわけでなくむしろ増加したこと、したがって被告を解雇する必要のなかったことは前述のとおりである。それにもかかわらず原告が被告を解雇したのは、原告にとって被告が好ましからざる存在となり、それ故、園から排除したいと考えたからにほかならない。原告の主張する「期間満了」は被告を園から排除するための口実であることが明らかであり、そのことは、第一〇回口頭弁論における松浦園長の「最終的には、そのように、当園にとってはふさわしくないと断定いたしました。」との証言からも伺うことができる。結局、被告を「ふさわしくないと断定」したから解雇したわけである。では、果たして被告は本当に保母として不適格であったのだろうか。被告が保母としての「適格」がないと判断した理由として、原告は、
<1> 欠勤が他の職員よりも多かったこと、
<2> ピアノの演奏が他の保母よりも劣っていたこと、
<3> 保育日誌の不提出
の三つを掲げている。しかし、以下に述べるとおり、これらが被告を園から排除(解雇)しうる合理的理由には全く該当しないことはきわめて明白である。
(二) 欠勤について
大柿主任保母は被告の勤務状態について、まず第一番目に「ほかの保母さんに比べて欠勤の日数が多かった」ことを挙げている。この「欠勤の多さ」が原告の気に入らない理由であったことは明白である。被告の欠勤の状況は、甲第一三号証に記載のとおり一年に一二日であり、その理由は「病気のため」が九日、「弟の交通事故のため」が二日、「友人の結婚式のため」が一日である。これらはすべて園の承認を受けて欠勤したものであり、昭和六〇年八月までは日給制のために欠勤すれば賃金をカットされていた。またこの日数は一般的に見ても決して「多い」ものではない。他の保母との比較で「多い」とするならば、むしろ休みをとりにくい園の雰囲気・保母が休むと補充がいない体制こそ問題である。
壬生寺保育園における保母の労働条件が「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの」(労働基準法一条一項)であったとはとうてい言うことができないこと、即ち、労働基準法すら遵守されていないことは、原告側証人である松浦及び大柿の各証言に照らしても明白である。大学時代全くの健康体であった被告が約一〇キログラムも体重を減少させるほど健康を害し不本意ながらも欠勤せざるを得なかったことは、園のきわめて劣悪な労働条件に起因するところが大きい。被告は病気のため何日か欠勤したが、その他はからだが不調な日もむしろ無理を押して出勤していたものである。
右四、3で詳述したとおり被告が担当していたもも組(零・一歳児クラス)の一日の主な労働内容は乙第一八号証に記載のとおりであるが、被告は同じくもも組担当の佐藤保母と毎日交替で午前八時半あるいは九時までには出勤し(尚、更に早出の時は午前八時までに出勤する)、早くとも午後五時三〇分までは拘束されてその間休む間もなく保育労働に従事した。しかも、もも組担当の保母は、他の半分の保母が休憩時間に割り当てられている時間帯さえ、二人のうち一方は乳児の午睡に付添い、他方は幼児クラスへの応援に行くため、休憩時間さえ全く取得することはできず、昼食すら保育の合間に立ったままでかけこみ、毎日休憩なしで連続最低八時間半から九時間の勤務についていたのである。乳児保育は幼児保育と比較すると抱きかかえや中腰の姿勢を余儀なくされるのみならず、ひとときも子どもから目を離すことができないため肉体的にも精神的にもかなりの重労働であることは明らかである。だからこそ、園児に対する保母の割合も乳児クラスの方が高いし、また、現実に乳児担当の保母に頸肩腕障害や腰痛等の職業病(労働災害)が多発している。このような乳児クラスに、しかも昭和六〇年度に初めて開設したばかりで設備もすべて幼児向けで、園全体としても何ら蓄積のない乳児クラスに、就職一年目の被告が割り当てられたのである。しかも、就職一年目であっても何日かの有給休暇が存在するのが時勢であるにもかかわらず、就職一年目ということで被告には有給休暇はなく、代替要員がないため生理休暇取得もままならず、そのような中で毎日休憩時間もなく保育に従事したことが、社会人一年目、保母一年目の被告に過重な負担になったことは想像に難くない。そして、就職して四―五カ月たち気候的に京都の猛暑となる七―八月に佐藤保母が夏期休暇等を取得したことによって負担が増大し、更に被告の疲労状態に拍車をかけ、そのため同六〇年九月以降被告の疲労は限界に達し欠勤せざるを得ない状態に至ったものである。その後、佐藤保母が妊娠し、肉体的に負担となる仕事は被告が主にあたったため、一二月にも欠勤し冬期休暇中には点滴をするに至るまで健康を害することになった。このように、被告の欠勤は壬生寺保育園の保育労働の無理が重なったものに外ならず、解雇の理由とするのは本末転倒である(尚、昭和六一年四月以降、壬生寺保育園はアルバイトを二名採用し、もも組担任も三名に増員した。昭和六〇年度についてもアルバイト採用の予算があったにもかかわらず、大柿主任保母も認めるぎりぎりの保母数で過重な保育労働をしていたのである)。
(三) ピアノの技術について
保母資格を取得するためにはピアノ技術が必要であり、それが大学での単位の一つとなっていて被告は右単位を取得している。また、壬生寺保育園就職後もも組担任としては保育室において毎日オルガンを弾く必要があったが、一年間何ら問題なくそれを遂行してきた。従って、被告は日常の保育に必要なピアノ技術は十分有しておりこの点で非難されることはない。
原告が問題にしているのは、壬生寺保育園の「会集」(朝のお集まり)の時のピアノで、被告が一年間で二〇回ほど担当したうちのわずか三回について大柿主任保母の気に入らず他の保母と交替させられたことである。しかし、「会集」では日常保育とは異なり三歳から五歳までの園児一〇〇人の前で普段とは違う曲をピアノで弾くのであるから、慣れないこともあり、あるいはあがってしまったりして弾けないことが、被告だけでなくとりわけ新任の保母には多く存在したのである。しかも、前述の保育労働のもとでは、とうてい保育時間中はもちろん、帰宅してもピアノを練習する余裕などあろうはずはなく、これをもって被告に保母の適格性がないとすることは断じて許されない。むしろ、ピアノ技術や後述の保育日誌については「欠勤の多さ」を理由にしたいところ、それのみでは理由として弱いため、後になって付け加えられた理由と思われる。
(四) 保育日誌について
保育日誌は、主に保育の経過を記したものであるが、各園によってその形式や記載内容及び取扱いは様々で、定まったものがあるわけではない。また、複数担任の場合、誰か一人の保母が書くのが通常であり、壬生寺保育園のように形式的に保母全員に書かせることはきわめて稀である。
壬生寺保育園では、保育日誌に一週間分の保育内容の結果を記して翌週の月曜日に大柿主任保母に提出する慣行となっていた。この形式では園児の毎日の保育に関する問題に対応するには何の役にも立たないし、現に、園としては従前、保育日誌を重視あるいは活用することは一切なかった。そのことは、保育日誌を提出しても大柿主任保母が判を押して本人に返すだけで、保育日誌の記載をもとに職員会議などで議論したり研修を持ったりして今後の保育のあり方や方法に役立たせることは全くなかったことや、同じく担任クラスをもつ大柿主任保母自身は保育日誌をつけていなかったことからも明らかである(この点について、大柿主任保母は業務日誌をつけていた、というがこれが同人の私的なメモにすぎないことも証言によって明らかとなっている)。原告が本訴訟で強調するほど保育日誌が大切なものであるとすれば被告が就職した時に、松浦園長や大柿主任保母から保育日誌についての説明は全くなく、被告は同六〇年四月六日になって佐藤保母より聞いて書き始めたものであることや被告が提出できなかったことについて園長や主任保母は「ただひたすら待って」おり全く注意あるいは指導をしていないことは考えられない。同年一二月一〇日ころ大柿主任保母は注意したと証言するが、それは被告の欠勤に関して小言を言ったついでに「もう、今更見る気がしないし、もう出さなくてもいい」と感情的な発言をしたにすぎず、決して注意や指導と言えるものではない。被告が書いていた保育日誌については「他の保母と比べて、まあ遜色がないというか、大差がないと申しますか、問題はございませんでした」と評価されている。又、被告以外にも提出の遅れた保母や提出できない期間のある保母も存在したが、格別問題にはされていない。
要するに、壬生寺保育園では京都市の監査がある場合に形式を整えようとしていたにすぎない。そのことは「その年度は、問題になる前に集合監査が済んでおりましたし、そういったこともたびたび催促しなかったという理由になる」との松浦の証言からも明らかである。尚、京都市の監査の実施要領は乙一一号証のとおりであり、保母全員の保育日誌が必要なわけではなかった。
被告が同年七月中頃以降右保育日誌を提出できなかったことは事実であるが、これは前述した労働実態の中で保育時間中に保育日誌を書く時間や余裕はもちろんなく、日々の保育に追われており、肉体的にも疲労が増大し、自宅に持ち帰って記載することさえできなかった(もちろん自宅に持ち帰って記載する義務はない)のである(他の保母の場合も、午睡や休憩時間、持ち帰りによって保育日誌を書いている実態がある。しかし、被告の場合、前述のとおり、午睡や休憩時間もほとんど余裕はなかった)。また、その後も、とにかく過去の全ての日を書き上げて出さねばという真面目さが裏目となって、提出できずにいたのである。しかし、思い直して同六一年二月二五日以降はきっちり書いて提出しており、そのことは大柿主任保母も「まじめにほかの人と変わらないように出していられた」し、その内容についても「しっかり子供を見つめて書かれている様子もうかがえました」と証言している。
従って、保育日誌を提出できない期間があったからといっても保母として不適格であったということはできず、何ら解雇の合理的な理由に該当しない。
(五) 被告の保育にかける思いや情熱は人一倍強く、それこそが保母の適格性にとって重要である。一年間同じクラスを担任した佐藤保母も「優しくてよく気がつくのでいい保母さんですよ」と被告を高く評価し、前記のとおり、松浦も他の保母と比べて(前記三点以外に)被告に特に問題があったとは述べていない。被告の解雇が判明した際、主任、副主任を除く他の保母全員、更には、保護者で作る「母の会」が被告が安心して子どもを預けられる保母であるとしてその撤回を求めているが、このことも被告の保母としての適格性を如実に裏付けているものである。
3 退職の合意の不存在
松浦園長はその証言において、同園長が昭和六一年一月末に、被告に対して「三月末でやめてもらう」という趣旨のことを言ったとき、被告が了解したかどうかについては明言していない。しかし、同人はその直後の二月一日と二月四日に被告が「今日、午後に面接に行かしてもらいます」というあいさつをして早退して、就職の面接に行ったことをもって「その時に了解してもらったというふうに理解いたしましたし、補充の職員の採用につきましても決意をしたというのが実情です」と証言し、あたかも被告が、三月末退職に合意していたかのように主張する。
しかし、被告は三月末退職について一度も了解したことはない。被告が前記の二回、早退して就職のための面接を受けたことは事実である。しかし、被告が右面接を受けたのは、被告としては「園長先生がいくらお願いしても全然姿勢を変えて下さらなくて、私は四月からのことがすごく心配で」あったためである。
しかし、面接結果を聞く前に面接先にことわり、原告に対しても三月末退職の意思のないことを伝えている。その後も一貫して退職の意思はなく四月以降引続き働くつもりであると原告に意思表示し、その通り行動してきた。
一般に、解雇を予告された労働者はその解雇が不当であると思っていても、現実の当面する生活不安にどう対処すればよいのかに悩み、いろいろと気持ちが動揺するものである。解雇が不当であるとしても、雇主が容易にこれを撤回しそうにないとすれば、法的手続に訴える外はない。しかし、普通の労働者にとって、法的手続に訴えることは容易な決心ではないし、仮りに法的手続に訴えたとしても、その結論がでるには相当期間がかかり、その間の賃金が保障されるわけではない。大学を卒業してすぐ保母になり、まだ一年足らず、しかも、労働組合に加入したとはいえ、労働運動の経験も全くない若い被告が、園長の態度に驚き、将来の不安におびえて、何とか生活手段をみつけねばならないと考えても無理からぬことである。むしろ、被告をこのような気持に追い込んだ原告のやり方が非難されこそすれ、これをもって、あたかも被告も納得していたかのように主張することは、あまりに非人道的であり、強い憤りを感じる。
又、原告は昭和六一年一月末には既に四名の新規採用を決めており、この時点の退職予定者は三名であって被告は含まれていない。この点からも松浦園長の証言は信用できない。
(反訴請求)
一 反訴請求の原因
1 雇用契約
被告は原告との間で、昭和六〇年三月二五日頃、原告経営の本件保育園の保母として勤務することを内容とする雇用契約を締結し、被告はこれにしたがって、本件保育園の保母の業務に従事してきた。
2 就労拒否
ところが原告は、昭和六一年三月二五日以降契約の期間が満了したとして被告の就労を拒絶している。
3 平均賃金
被告は原告から毎月賃金の支払いを受けていたが、昭和六一年一月から同年三月までの間に原告から受領した賃金の一か月あたりの平均は金一八万六二七二円である。
よって、被告は原告に対し、雇用契約に基づき昭和六一年四月一日以降毎月末日限り一か月金一八万六二七二円の割合による金員の支払いを求める。
二 反訴請求の原因に対する認否
反訴請求の原因の事実はすべて認める。
三 反訴請求の抗弁
1 本訴請求三(期限の定めに関する原告の主張)と同じ
2 本訴請求八(本訴請求の予備的請求原因)の1(正当事由による雇止め及び解雇)及び2(合意退職)と同じ
四 反訴請求の抗弁に対する認否及び主張
1 本訴請求四、1(期限の定めに関する原告の主張に対する認否)、2(権利としての保育)及び3(雇用契約の内容)と同じ
2 本訴請求九の1(勤務の実態)、2(解雇事由の不存在)及び3(退職の合意の不存在)と同じ
五 反訴請求の抗弁1に対する再抗弁
本訴請求五の1(期限の定めのない契約への移行)、2(期限の定めの公序良俗違反)、3(雇止めの権利濫用)及び4(不当労働行為)と同じ
六 反訴請求の再抗弁に対する認否
本訴請求六(本訴請求の抗弁に対する認否)と同じ
七 反訴請求の再抗弁に対する原告の主張
本訴請求七(本訴請求の抗弁(不当労働行為)に対する原告の主張)と同じ
第三証拠(略)
理由
一 当事者間に争いのない事実
原告が本件保育園を開設したこと、被告は原告との間で、昭和六〇年三月二五日頃、原告経営の本件保育園の保母として勤務することを内容とする雇用契約を締結し、被告はこれにしたがって本件保育園の保母の業務に従事してきたこと、被告は本件雇用契約の終了を争っていること、京都市ではプール制を採用し、原告が被告を京都市保育園連盟に対しプール制における常勤職員として届け出ていること、同制度の運用細則五条には常勤職員の条件が規定され、「臨時的雇用契約(一年未満の期間)の職員は除く。」とされていたこと、昭和六一年四月には本件保育園において保母の定員減は生じなかったこと、原告は昭和六一年四月に新たに四名の保母を採用していること、原告は被告と同期に採用した三名の保母のうち被告以外の二名については昭和六一年四月以降も雇用を継続していること、被告が京都私立保育所労働組合に加入していること、原告は昭和六一年三月二五日以降契約期間が満了したとして被告の就労を拒絶していること、被告は原告から毎月賃金の支払いを受けていたが、昭和六一年一月から同年三月までの間に原告から受領した賃金の一か月あたりの平均は金一八万六二七二円であったことは、いずれも当事者間に争いはない。
二 雇用期間
(証拠略)並びに当事者間に争いのない事実によれば、次の事実を認めることができ、これに反する証人大柿の証言部分及び原告代表者本人尋問の供述部分は右の他の各証拠に照し採用できない。
<1> 京都市の保育園は全て公費で運営されており、その公費のうち私立保育園の人件費分は、京都市保育園連盟(「保育園連盟」)の運営する京都市民間保育園職員給与改善制度(「プール制」)を通して各園に支給されているところ、各園への支給額はプール制によって、各園の入園児数を基礎に認定される職員定数に基づき決定される。ところで、本件保育園においては、その所在地の周辺の新生児が減少してきたので、本件保育園の園長である松浦は昭和五八年頃から職員定数が減少する可能性があると予測するようになった。
<2> 本件保育園では、昭和五八年四月、常勤職員の定数が一名増員したため、原告は松本和美を保母として新たに雇用することとしたが、次年度に右定数が減少することを危惧し、従来行っていなかった一年の期限付雇用契約を締結することとし、原告は口頭であるが松本との間に一年の期限付雇用契約を締結し、給料も日給制で支払うこととなった。しかし、松本について同年四月からプール制において常勤職員として登録ができており、同年五月、原告は松本の日給制を月給制に変更し、松本との雇用関係を期限の定めのないものとして扱うこととし、他の期限の定めのない職員が加入している社会福祉事業振興会や京都府民間社会福祉施設職員共済会(以下、「共済」という。)への加入手続もとった。このとき原告は共済への加入につき松本の同意をとったが、それは共済に加入することの同意であり、それ以上に雇用契約の期限の定めをなくすることの同意ではなかったので、この時松本は雇用契約から期限の定めがなくなったことを認識しなかった。なお、翌昭和五九年度は原告は職員を新たに雇用することはなかった。
<3> 原告の代表者であり本件保育園の園長でもある松浦は、社会福祉法人壬生老人ホームの専務理事でもあったところ、昭和六〇年度に壬生老人ホームで日勤の寮母をアルバイトで新しく雇用することとなり、壬生老人ホームの監事であり仏教大学教授でもあった森田久男の紹介により、松浦は昭和六〇年二月二〇日頃、被告に初めて会い、右寮母の採用面接を行った。この時、松浦は「昭和六一年三月末迄の雇用契約とする。但し継続することも、正職員として採用することもある。」と記載された「日勤寮母(夜勤なし)アルバイト条件」と題する書面を被告に手渡し、その書面に記載したとおりに労働条件を説明した。この面接の際被告は、壬生老人ホームの寮母よりも保育園の保母に就職したい旨松浦に希望しておいた。その後被告は松浦に電話で、寮母のアルバイトとして働くことに応じる旨の返事を伝えた。
<4> ところがその後、本件保育園において保母が退職して欠員が生じたので、松浦は、被告が保母になりたい旨を希望していたことから被告を本件保育園の保母に採用しようと考えたが、前述のとおり松浦は本件保育園の職員の定数が減少する可能性があると予測していたので、被告を保母として雇用するとしても一年の期限をふすこととした。そして、昭和六〇年三月二〇日頃松浦は、被告宅へ掛電し、期限は一年ということであれば本件保育園に枠ができたので保母として働くことはどうかと尋ねたところ、被告はその条件でよいから本件保育園で働きたい旨の返事をした。
<5> 松浦は再び被告と面接し、保母としての労働条件を説明したが、この時松浦は被告に対し、期限は一年であるが、保母の定数が減少しなければ引続き雇用することもある旨説明した。
<6> 被告は昭和六〇年三月二五日から本件保育園へ出勤し就労した。昭和六〇年四月一五日頃、松浦は保育室で就労している被告に雇用契約書を渡し、それに署名押印するよう求めたが、被告は印鑑を所持していなかったので、その契約書を一旦自宅へ持帰り、二、三日後に署名、押印したうえ、松浦へ渡した。その雇用契約書には「就任年月日」が昭和六〇年四月五日、「雇用形態」が「非常勤」、「雇用期間」は昭和六〇年四月五日から昭和六一年三月二四日までとする記載がなされていた。
<7> 昭和六〇年四月、本件保育園は予想に反し常勤職員の定数が増加したので、原告はさらに石井清子を雇用し、さらに保母が一名退職したので山口裕子を雇用したが、その際原告は両名に対して、被告についてと同じく雇用期間は一年である旨説明し、両名を一年の期限付で雇用した。
<8> 原告は、右のとおり、被告並びに石井、山口との間で一年の期限付雇用契約を交わしたが、採用と同時に同人らを保育園連盟に対し常勤職員として申請してその登録をし、保育園連盟から常勤職員に対する人件費の支給を受けるようになった。しかし原告は、被告並びに石井、山口の給料を月給制よりも低額の日給制で支払い、共済等への加入手続もとらなかった。
<9> ところが、昭和六〇年八月三〇日、本件保育園は京都市民生局保育第一課の監査を受け、その結果、同年一〇月頃、京都市から、被告及び石井の給料実態が非常勤扱いになっているが、常勤扱いに是正するよう申入れを受け、原告は同月から、被告及び石井の給料を月給制にし、金額も常勤職員と同額にした。しかし原告は、この事を被告に説明をしなかったので、被告は給料が月給制になったことに気付かなかった。
<10> 昭和六〇年一二月二〇日頃、松浦は、被告並びに石井、山口を集め、翌年の三月に職員定数が削減されれば辞めてもらうが、その頃他の職をさがすのは大変だから今からさがすようにと告げ、さらに昭和六一年一月二七日、松浦は被告に対し、昭和六一年三月一杯で辞めてもらうと通告したが、この時被告はこれに応じる返事はしなかった。その後の昭和六一年二月一日及び同月四日、被告は他の就職先をさがすため、採用の面接を受けに行ったが、本件保育園を辞めたくないので、同年二月中旬頃主任の大柿に対し退職の意思のないことを告げた。
<11> 一方原告は、その頃、山口に対しては昭和六一年度からは期限の定めのない職員として雇用する旨告げたが、石井に対しては昭和六一年度はさらに一年の期限付で雇用すると告げた。しかし、昭和六一年四月、原告は両名に対し、共済等への加入手続をとり、期限の定めのない他の正職員と同等の扱いをし、その後も両名は期限の定めのない職員として雇用されている。
<12> 被告は本件保育園での劣悪な労働条件等に疑問をもち、昭和六〇年九月頃から、京都私立保育所労働組合(「組合」)に加入し、昭和六一年一月二七日頃、松浦から退職するよう言われた後、何回も組合の関係者に相談した。そして、同年三月一四日、組合は被告を継続して雇用することを求めて京都府地方労働委員会に対し斡旋申請をしたが、組合はその申請書に、被告は一年期限付雇用契約で雇用されている旨記載していた。
以上の事実によれば、原告は昭和五八年頃から職員の定数が減少することを予想し、保母を新たに雇用するときは一年の期限付で雇用する方針を持っており、被告を保母として採用する際もその意思があったこと、そして被告との雇用契約書にも明確に一年の期限を記載しており、原告代表者松浦は被告との面接においても一年の期限付であることを説明していることが認められる。そして被告の就労後は、原告は被告に日給制の給料を支払ったり、共済等への加入手続をしなかったりして、被告を他の常勤職員と異なった取扱いをし、被告を期限付雇用者として扱っていたことが認められる。一方、被告も昭和六〇年四月一五日頃雇用契約書に署名押印する際、同契約書に期限の記載がなされていることに気付く機会が十分あり、昭和六一年一月二七日頃松浦から退職するよう通告された後、他の就職先をさがしており、また地労委での申請も一年の期限付雇用であることを前提としていることなどからして、被告も一年の期限付雇用契約であったことを認識していたものと認められる。
以上に対し、被告は、松浦が被告に面接をした際の雇用期間に関する説明は、期限の定めはないが、もし次年度において職員の定数が減少した場合は辞めてもらうこともあるという内容だったと主張し、被告本人尋問の結果にもその主張と合致するかのような供述もあるが、被告を雇用する前後の松浦についての前記認定事実に照すと、仮に松浦が右主張のように受け取れる内容の説明をしたとしても、その真意は被告の主張と逆であり、その説明は原則として一年の期限で辞めてもらうが、場合により継続して雇用することもあるという内容であったと認めるのが相当である。
また、被告は、被告と同年度に採用された石井、山口が昭和六一年度に期限の定めのない雇用状態に至っていることからも、被告も同様の期限の定めのない雇用契約を締結したと見るべきであると主張するが、前記のとおり、原告は石井、山口に対しては、次年度も雇用する旨を明示的に告げており、山口に対しては期限の定めのない職員として雇用する旨も告げており、石井、山口との間ではこの時新たな雇用契約を締結したと見られるから、原告からそのような意思表示のなかった被告について石井、山口と同様に解することはできない。
さらに被告は、原告が被告をプール制の常勤職員として登録したことをもって、被告を常勤職員つまり期限の定めのない職員とする意思であったと主張するが、後述のとおり、プール制はあくまでも保育園連盟と保育園との間での公費の分配に関する制度であり、保育園とその職員との間の雇用契約に直接関係するものではないから、被告の主張は採用できない。
以上より、原告と被告との間の雇用契約は一年の期限付のものであったと認めるのが相当である。
三 期限の定めのない雇用契約への移行
被告は仮に原告被告間の雇用契約が一年の期限付であっても、原告は、京都市の監査による指摘により昭和六〇年一〇月から被告の給料を日給制から月給制に変更したが、これにより、原告被告間の契約は期限の定めのない雇用契約に移行したと主張する。
しかし、契約は両当事者の意思の合致によりその内容が決定されるものであるところ、前述のとおり、原告は被告の給料を月給制に変更したとき被告に対しそのことの説明を何もしておらず、また、他の期限の定めのない職員が加入している共済等への加入手続をとっておらず、逆にその後被告に退職を要求する等、期限の定めがあることを前提とした態度を取っており、他方、被告も何時月給制になったのか気付かなかったことが認められる。したがって、昭和六〇年一〇月に原告被告間に期限の定めにつき何等かの合意があったとは認められず、被告の前記主張は採用できない。
四 プール制
次に被告は、本件雇用契約が一年の期限付雇用契約であったとしても、その期限には効力がないと主張し、その理由の一つとして期限をふすことがプール制の趣旨に反することをあげるので、ここでプール制について検討する。
(証拠略)並びに当事者間に争いのない事実によれば、次の事実が認められる。
<1> 児童福祉法の趣旨を受け、国は児童福祉施設最低基準を設け、保育園の保育設備、保育時間、保育内容等につき、最低基準を定めている。しかし、右児童福祉施設最低基準は昭和二三年に定められたものであって極めて低い基準である。また、保育園の運営は公立でも民間認可保育園でもすべて公費で賄われており、その公費の一つに国が定める基準に基づいて国と地方公共団体が支出する措置費がある。しかし、これによる職員の給与も一律に格付けして算定したものであるため、職員の定期昇級は不可能であり、給与体系を確立することもできなかった。このため保育園では経営上の余裕を得るため無資格者の職員を増加させたり、経験者の定着難、低賃金職員の増加等の問題も生じた。このような問題を解決するため、各地方公共団体は右措置費を補うための補助金として単費補助金を出しているが、さらに京都市の民間保育園においては、職員の労働条件改善の一環として、職員の給与体系を公務員給与にそろえるため、京都市との協力の上、昭和四七年から各保育園が一旦受けた措置費のうち人件費分を保育園連盟にプールし、それに単費補助金を加えて、各保育園の職員の勤続年数等に応じて定めた給与表に基づき再配分するという、いわゆるプール制を設けた。このプール制により、京都市の民間保育園の職員は定期昇級を確保され、本俸も公務員に近い水準となった。
<2> また、各保育園の保母や調理員等の職員の定数は、各保育園の入園児数を年令別に分け各年令毎に一定の児童数に応じた保母やその他の職員数を定めた、職員配置基準(この基準は国の児童福祉施設最低基準よりも高く設定している。)に基づき、保育園連盟のプール制委員会によって認定される。そして、右職員配置基準による職員には常勤職員と非常勤職員の二種があり、そのうち常勤職員とは、昭和五八年三月一六日制定の「職員配置基準に関する運用細則」(「運用細則」)の五条によって「臨時的雇用契約(一年未満の期間)の職員は除く。」とされ、さらに「給与が月額で支払われ、日額計算となっていない。」「社会保険、共済会等に加入している。」ことなど雇用実態も臨時的でない職員であることが条件として定められている。なお、右の「(一年未満の期間)の職員は除く。」の文言は昭和六〇年八月一日「(期限の限定のある契約)の職員は除く。」と改訂された。
<3> このプール制では、さらに保育園の職員の身分を安定させる目的で、現員保障という制度も採用した。これは、各保育園の入園児数の減少等により職員の認定数が減少した場合にも、退職職員がいない限り前年度の職員定数の人件費をプール制が保障するというものである。この現員保障はプール制発足当時から設けられており、昭和五八年度からは、現員保障は退職者がいない限りはいつまでも元の職員数を保障することとなっていた。ところが、保育園に対する国や市の予算が予想ほど増加しなかったため、プール制は昭和五九年頃には約金四億円の赤字を出すに至り、赤字削減の一環として、昭和六〇年三月一五日、プール制が改訂され、保障は各園につき二名を一年間だけ保障するという内容になった。
<4> なお、現員保障の基準となる職員の定数の基準時期は一〇月一日であり、ある年度の四月に入園児数が定数を割って職員の定数が減少し現員保障が必要となっても、一〇月一日までに入園児数が定数を満たし職員の定数が満たされれば、その年度は現員保障の対象ではなくなり、次の年度にさらに現員保障を受けられることとなる。
ところで原告は、昭和六〇年八月一日の改訂前の右運用細則五条の常勤職員には一年の期限付雇用の職員も含まれると主張し、証人細川及び同後藤の各証言によれば、昭和五六、五七年頃から各保育園において一年の期限付雇用の職員も常勤職員に登録できていたことが認められる。
しかし、
<1> 原告代表者尋問の結果によれば、社会福祉事業振興会及び京都府民間社会福祉施設職員共済会は一年以上掛金を掛続けなければ給付を受ける資格ができないと認められるところ、右のとおり運用細則五条は常勤職員の条件として共済等に加入していることを要求しており、これは運用細則五条自体が一年以上の雇用を前提としていると考えられること、
<2> プール制は本来保育園の職員の地位向上や、保母経験者の定着等による職員の質の向上を目的としており、現員保障という制度まで設けて職員の長期定着をはかろうとしており、運用細則五条の常勤職員に一年の期限付雇用の職員を含むと解することはプール制の趣旨に反すること、
<3> 昭和六〇年八月一日に行われた運用細則五条の改訂につき、京都市は組合との交渉において、右文言は本来期限の定めのある雇用を除くことを目的とした条項であったところ、労働基準法一四条により一年を超える期限のある雇用は禁じられているため、一年未満の期限の定めのある雇用契約の職員を除けば期限の定めのある職員全てが除かれる、という考えに基づいて定めたものだったので、本来の趣旨を明確に表現するため保育園連盟に対する行政指導により右のように改訂をさせたと説明したこと、
<4> 一年の期限付雇用の職員を常勤職員に含めることは、プール制から常勤職員に必要な人件費の支給を受けながら職員には期限付雇用であることを理由に常勤職員よりも低い給料しか支払わないというプール制の趣旨に明らかに反する雇用形態を増加させることにもなり、また期限の定めのある職員のうち一年の期限の定めのある職員だけを常勤職員として認めることに合理的根拠は認められないこと、
これらの点を総合して考えれば、改訂前の運用細則五条の常勤職員は期限付雇用契約の職員を全て含まない趣旨であったと解するのが相当である。そして、これに反するかのような証人後藤及び同細川の各証言部分は採用できない。
そして、証人後藤及び同細川の各証言によれば、一年の期限付雇用の職員を常勤職員として登録する趣旨は、一年の期限付雇用の職員にもできるだけ期限の定めのない正職員と同じ待遇を与えるためであったと認められるから、常勤職員の認定機関であるプール制委員会としても、そのような趣旨であるならば、一年の期限付の職員の労働実態が期限の定めのない職員と同じであり、しかも常勤職員の定数の範囲であれば、わざわざ雇用契約の内容を改めさせるまでもなく、職員の労働条件の向上のため常勤職員と同様の人件費を支給してきたものと考えられる。したがって、一年の期限付雇用の職員を常勤職員として登録するという右のような取扱いが多くあったとしても右判断を左右するものとは言えない。
五 一年の期限付雇用の必要性
プール制についての右検討を前提に、以下、本件雇用契約における一年の期限の有効性を判断するが、まず原告に被告を一年の期限付雇用とする必要性がどの程度あったかについて検討する。
(証拠略)並びに原告代表者尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
<1> 昭和五八年頃から本件保育園所在地付近の児童数が減少し、本件保育園への入園児も減少する傾向にあり、したがって本件保育園の職員定数は減少する可能性があり、しかも、昭和六〇年度からは常勤職員の認定数の基準が引下げられた。それにもかかわらず、本件保育園の常勤職員の定数は昭和五八年度及び昭和五九年度が一三名、昭和六〇年度及び昭和六一年度が一四名と全く減少しなかった。もっとも、本件保育園では昭和六〇年度から初めて一歳児保育を始めたため、同年度から常勤職員の定数が増加したのであり、もし一歳児保育をしていなければ、昭和六〇年度は常勤職員の定数は約一名減少していた可能性がうかがえるが、減少する一名も前述の現員保障で地位を保障されることができた。
<2> 本件保育園の保母の退職者数を見ると、昭和五七年度は一名、昭和五八年度は〇、昭和五九年度は一名、昭和六〇年度は五名であるところ、保母の勤続年数は平均して約五、六年であり、保母が長期間一人も退職しないということはないことに照せば、この退職者数は必ずしも多い数ではなく、したがって、平均すれば毎年退職者による欠員が生じる可能性があった。
<3> 証人後藤の経営する保育園では昭和六〇年度に常勤職員の定数が二名増えて一七名になったにもかかわらず、昭和六一年度には五名減少し一二名になり、内二名を現員保障で継続して雇用したが内三名は退職してもらったという例があった。しかし、この保育園には近隣の住民の移動が特に激しいという特別な事情があり、本件保育園にはそのような特別な事情はなかった。また、右の保育園の常勤職員の定数が減少した直接の原因は、昭和六一年度に〇歳児及び一歳児の入園児数が著しく減少したためであるが、その減少の原因は右の特別の事情だけでなく、経営者の努力が不足していたことがうかがえる。
以上の事実に前述のとおり、現員保障により常勤職員の定数が減少しても二名までは一年間常勤職員として保障されること、また、年度初めに定数が減少しても一〇月一日までに入園児数を増やし定数を満たせば、さらに次年度も現員保障が受けられることを併せ考えれば、少なくとも本件保育園では被告を一年の期限付で雇用する必要性はほとんどなかったといわざるを得ない。
六 一年の期限の有効性
右のとおり、原告には被告を一年の期限付雇用とする必要性がほとんどなかったことが認められるが、これに加え、
<1> 証人細川及び同後藤の各証言によれば、他の保育園では一年の期限付雇用の職員を常勤職員としてプール制に登録した場合は、できるだけ期限の定めのない職員と同額の給料を支払ったり、共済等に加入させたりして、期限の定めのない職員と同様に扱おうとしていたことが認められるにもかかわらず、原告は被告を常勤職員として登録し期限の定めのない職員に対するのと同額の人件費の支給を受け、後述のとおり被告を期限の定めのない職員と同様の労働に就かせながら、一方被告に期限の定めのない職員よりも低い日給制による給料しか支払わず、明らかにプール制の趣旨に反する取扱いをしていたこと、
<2> 証人後藤の証言によれば、同人経営の保育園において一年の期限付で雇用した保母のうち、約半数はうまくいかないと思ったら一年で退職してもらい、他の者はその後期限の定めのない職員として継続して雇用していることが認められ、これは一年の期限付雇用を試用期間と同様に扱っていることがうかがえること、本件保育園においても、前述のとおり原告は、松本及び石井に対しては採用の当初は期限の定めのある雇用契約を締結していながら、明確な意思表示のないまま途中で扱いを期限の定めのない職員と同等にしたり、退職者が多数出て定数に欠員が生じるにもかかわらず、一年の期限付で雇用した三名の保母のうち被告に対してのみ雇止めをしようとしたこと、これらの点からすると、原告は一年の期限付雇用を試用期間と同様に考えていたことが推察されるが、成立に争いのない乙第三号証によれば、本件保育園の就業規則五条において試用期間は六〇日と定められていることが認められ、一年の期限付雇用は右就業規則を潜脱する結果となり、職員の地位を不当に不安定にしていると考えられること、
以上の各点を併せ総合すると、被告の雇用契約に一年の期限を付したことは、著しくプール制及び法の趣旨に反するものであるから、原告被告間の雇用契約のうち一年の期限の労働条件は無効と解するのが相当である。
もっとも、前述のとおり、保育園によれば、一年で一挙に常勤職員の定数が五名も減少し現員保障があっても一年の雇用期間で職員を退職させなければならないような場合もあることが認められる。しかし、そのような事態も経営者の努力により入園児の年齢構成を変動させないようにするなどして避けることもでき、仮に努力してもそのような事態が避けられなければ、保育園の収入が公費のみに頼り一定限度の資金しかないのであるから、整理解雇の法理を類推して解雇も認めることができ、原告被告間の一年の期限付雇用を無効としても原告に不当な義務を課するものとは言えない。
七 解雇
1 欠勤
原告被告間の雇用契約につき、一年の期限に効力がない場合は、原告はさらに解雇による雇用契約の終了を主張する。そこで、その解雇事由のうち、まず被告に欠勤が多かったという事由について正当な解雇事由かどうかを検討する。
原告は、被告に欠勤が多く、欠勤した場合保母に補充がなく、他のクラスの保母に負担がかかり、補充の保母を雇用する経済的余裕はどの保育園にもないと主張する。そして、(証拠略)によれば、被告は昭和六〇年四月から一年間に一二日欠勤し、その理由は、病気によるものが九日、弟の交通事故によるものが二日、友人の結婚式によるものが一日あることが認められる。
しかし、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これに反する(人証略)は他の証拠に照し採用できない。
<1> 本件保育園では、昭和六〇年度初めて一歳児保育をすることになったが、一歳児クラス(もも組)は全く保母の経験のない被告と約一〇年の保母経験のある佐藤美智子の両名が、職務上対等の役割をもって担任することとなった。しかし、本件保育園には一歳児保育のための設備がほとんどなく、両名はおむつ替えのための畳を他の部屋から運んできたりして設備を整えなくてはならず、部屋の柵が高く重かったので、乳児を便所へ連れて行く際、乳児を抱いたまま柵を乗越えなければならなかったりして、被告の肉体的負担は相当重かった。また、もも組の乳児には〇歳児も含まれ、年齢の差が一年以上もあり、各乳児に合せた保育をしなければならず、経験のない被告にとっては注意を集中すべき時とそうでない時との区別がつかず、精神的にも相当負担が重かった。
<2> 勤務時間については、もも組では被告は毎日佐藤と交代で午前八時半か九時に出勤し、早出の当番に当ったときはさらに午前八時までに出勤しなければならず、退勤は毎日午後五時三〇分頃までは拘束された。そして、他のクラスにおいては児童の午睡の時間に一日交代で半数づつの保母が休憩をとっていたが、もも組では二名の内一名が午睡の付添いをし、他の一名は他のクラスの自由遊びの相手をしなければならず、全く休憩がとれなかった。また、昼食時間も乳児を他の保母に見てもらえないことから精神的に開放されず、毎日立ったまま短時間で食事を済ませる状態であった。結局被告は一日八時間三〇分から九時間ほとんど休憩なしで働かなければならなかった。
<3> 昭和六〇年七月から同年八月にかけて、被告は日給者であったので休暇を十分とることができなかったが、相担任者の佐藤は一四日も夏期休暇をとり、その間もも組の保育は被告一人で行わなければならず、また、保育室には冷房設備もなかった。このようなことが重なり、被告は同年四月から同年九月までに体重が一〇キログラムも減り、同年九月末頃体調を崩し、病気で合計五日間欠勤した。その後体調は一応回復したものの、佐藤が妊娠してつわりが重かったため、被告が肉体的に負担の重い仕事を代って行ったり、欠勤をしないよう風邪にもかかわらず無理をして出勤したため、同年一二月末には気管支炎にかかり点滴を受けるに至った。
<4> 右のように被告が欠勤したとき、本件保育園では代替の保母がいないため、他のクラスの保母がもも組の保育を補助せざるを得ず、他の保母に負担をかけることとなった。しかし、本件保育園には昭和六〇年度には、プール制から二名の非常勤職員の定数が認定され、非常勤職員二名分の人件費が支給されていたにもかかわらず、原告はそれに見あう非常勤職員を全く採用していなかった。また、プール制からは、非常勤職員の人件費の他に、さらに代替要員としてのアルバイトを雇う費用も支給されており、職員が休暇を取るための代替要員を確保する経済的余裕も充分あったが、原告はそのようなアルバイトも雇わなかった。
<5> 原告は、昭和六一年度には一歳児クラスの担任を三名に増員し、しかも非常勤職員も二名雇い、もも組担任の保母も午後休憩が取れるようになった。
以上の事実によれば、被告の労働条件は労働基準法にも反するほど相当劣悪であり、被告の欠勤の多くはその劣悪な労働条件に原因があるということができるところ、原告はその労働条件を改善する経済的余裕は充分あったにもかかわらず、それを怠ったと認めることができる。したがって、被告の欠勤の多くは原告に責任があるということができるから、そのような欠勤を解雇事由とすることは解雇権の濫用というべきであり正当な解雇とはいえない。
2 保育日誌
次に原告は、被告が長期間保育日誌を提出しなかったことも解雇事由として主張し、(証拠略)証人大柿の証言、被告の本人尋問の結果によれば、本件保育園では主任を除いた全保母は毎日保育日誌を記載し、毎週主任である大柿に提出することになっていたこと、保育日誌は保育を改善、向上させるための資料として保母の職務の中では比較的専門性の高い作業であること、ところが被告は当初は保育日誌を提出していたが、昭和六〇年七月一五日分から提出しなくなったので、大柿は毎月一回位、職員会議で婉曲に保育日誌の提出を催告し、同年一二月中旬頃、被告に対し保育日誌が長期間提出されていないことを指摘し、被告も同月下旬頃の職員会議で一月には保育日誌を記載して提出することを表明したが、正月休みに気管支炎にかかったため保育日誌を書くことができず、結局昭和六一年二月二四日になって、昭和六〇年七月以降の保育日誌を不完全ながら記載して提出したことが、それぞれ認められる。
しかし、(証拠略)によれば、
<1> 一クラスを複数で担任している場合では、保育日誌は担任のうちの一人が書くことが通常であり、本件保育園のように全員の保母に書かせることは稀であること、
<2> 本件保育園では保育日誌を基にして以後の保育の在り方や内容について検討することは全く行われておらず、保育日誌を主任に提出する実質的意味があまりなかったこと、
<3> 主任である大柿もクラスを担任していたが、保育日誌は記載していなかったこと、
<4> 本件保育園では、被告以外にも相当期間保育日誌を提出しなかった保母がいたが、特に問題にはされなかったこと、
<5> 京都市の保育園は毎年京都市の監査を受けるが、京都市の監査の実施要領によれば、保母全員が保育日誌を記載しているかどうかまでは監査の対象にはなっていないこと、
<6> 被告が昭和六〇年七月から保育日誌を書かなくなったのは、前述のとおり保育時間中は休憩を全く取ることもできなかったから日誌を書く時間的余裕がなく、また同年七月頃劣悪な労働条件のため疲労が蓄積し、自宅においても保育日誌を書く精神的余裕がなかったためであり、保育日誌を書くことができなくなった原因の重要な部分は原告にあったこと、
以上の各事実が認められ、右事実に反する証人大柿の証言部分は右の他の証拠に照し採用しない。そしてこれらの各事実を総合すれば、本件保育園においては保育日誌にそれほどの重要性はなく、被告が保育日誌を提出しなかったことは必ずしも解雇事由となるほどの事由とは認められない。
3 ピアノの技術
原告は、被告が保育に必要なピアノの技量が劣り、本件保育園に就職後も向上がなかったことも解雇事由としてあげ、証人大柿の証言、原告の代表者尋問の結果及び被告の本人尋問の結果によれば、本件保育園では毎朝会集を行い、その会集で各保母が当番となって全員の前でピアノを弾かなければならないところ、被告はその会集において約二〇日間ピアノを弾くことになったが、そのうち二回、ピアノが弾けず、大柿から他の保母に交代させられたことが認められる。
しかし、被告の本人尋問の結果によれば、
<1> 保母資格を取得するにはピアノ技術が必要であり、被告はそれに必要な単位を大学で取得していること、
<2> 被告は担任のもも組では毎日オルガンを弾く必要があったが何等問題なくそれを行っていたこと、
<3> 被告が大柿から交代させられたのはわずか二回であること、
<4> 従来の新任保母の中にも集会でピアノが弾けず大柿から交代させられた者もいたこと、
がそれぞれ認められ、これらの事実を総合すれば、被告が保育に必要なピアノ技術に欠けているとは認められず、被告のピアノの技量を解雇事由とすることは正当とは認められない。
以上より、原告の解雇の主張は正当な理由に基づくものとはいえず、解雇の主張は採用できない。
八 合意退職
原告は予備的に、遅くとも、被告が原告から退職の通告を受けた後他の就職先の採用面接に二回目に行った昭和六一年二月四日までには、被告は退職に合意したと主張する。
しかし、退職は労働者の地位得喪に関する極めて重要な法律行為であるから、その意思表示の存否は厳格に解するべきであるところ、被告が退職を了承したことを示すものであると原告の主張する行為は二回の就職の面接だけであり、しかもその行為は原告以外の第三者に対する行為であるから、仮に原告の代表者である松浦がその行為から被告が退職することを期待するに至ったとしても、これだけの行為が退職の了承の黙示の意思表示とは到底解することはできない。そして、右面接以外に被告が退職を前提とした行為を行ったことを認める証拠はなく、また、前述のとおり被告は二回目の面接の一、二週間後に主任の大柿を通して原告に対し退職しないことを明確に意思表示しており、被告の退職を原告が期待するに至った程度も法的に保護するほどのものとは考えられない。したがって、合意退職の事実は認められない。
九 結論
以上より、その余を判断するまでもなく被告は原告との間において雇用契約上の地位を有すると認めることができる。そして、前述のとおり右雇用契約に基づく被告の昭和六一年三月末日までの平均賃金は金一八万六二七二円であることは当事者間に争いはない。
よって、原告(反訴被告)の請求は理由がなくこれを棄却することとし、被告(反訴原告)の請求は理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱宣言は相当でないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡文夫)